第七十六幕
「ふう、久しぶりだな。」
僕は彦根に戻ってきた。一応は家老の脇家の者だから屋敷の一室が僕の部屋ではあるがあくまで義父が用意してくれている部屋であまり使った事がない。義兄達も良い人ではあるが直弼様の側近的な立ち位置にいる僕の事をどのように思っているのかを聞いてないから実は嫌われているのではないかと不安になっていた。
ある日突然に父親が元服前の男を連れてきて養子にするなんて言って何も思わないわけがない。もちろん家督の相続権は最初からないものとして、義父が気を回してはくれたが納得はできないはずだ。だから、と言って直弼様が出られた埋木舎に住めるかもわからないから必然的に屋敷に行くしかない。
荷物などは既に屋敷に運び込まれているらしいし、今日はとりあえず休暇を貰えているから屋敷にはよらずに芹川に向かった。
特に理由もなかったが楽しい思い出もたくさんある場所というのもある。
僕は芹川の河岸の土手に植えられたけやきの木に手を当てた。
以前、直弼様も同じようにこの木に手を当てて僕を現代に戻すためにはどうすれば良いのかという話をしてくれた。
この木が大木になる頃には僕の産まれた時代になっているのかと思うと遥か昔に来てしまったんだなと感じた。もうこちらに来て13年目である。父や母、仲の良かった友達も13年の歳を重ねているわけで父はもう退職したかな?友達はどんな仕事に就いたのかな?と思うと寂しくなった。
僕はけやきの木から手を離して川の方を見ると川岸に座り込む女性が見えた。僕はその人が誰なのかわかったので近づいて声をかけた。
「こんな所でお一人で何をされてるんですか?」
女性は驚いてこちらを振り返った。砂利道で音もしていただろうに声をかけるまで気がつかなかったようだ。
「貞治様?もうお戻りだったんですか?」
「お久しぶりです、志津様。
先ほど着いたばかりなんです。」
「そうですか・・・、遠路お疲れさまでした。」
「志津様は何をされていたんですか?」
「貞治様は直弼様に言われて私に会いに来られたんですか?」
「直弼様は志津様に来て頂けなくて落ち込んでおられましたが、自分が経験した変化を志津様にも経験させるのも酷だと言っておられました。環境の変化に戸惑っておられたのを側で僕が見ていたので直弼様の苦労もわかっております。だからなのか、志津様に会いに行けとは一切言われてないです。
たまたま通りかかったら志津様が見えたのでお声がけしただけですよ。」
「直弼様はお怒りだと思ってました。私のワガママで余計にご心労をおかけしたのではないかと。」
「直弼様が志津様に一目惚れしたのもこの芹川でしたね。
あの人はきっと初恋の人を守ろうとはしても傷つけようとはされないですよ。ただ側にいられないというのは心労の原因になってるでしょうね。」
「寂しがりな人ですからね。
新しい奥方を早く見つけられたら良いのに。」
「男は失恋から立ち直るのに意外と時間がいるんですよ。
まぁ、弥千代姫にデレデレされてるんじゃないですか?」
「それなら嬉しいですね。」
志津様はそう言って初めて笑った。そんな時に後ろから
「志津、そろそろ・・・・。あっ、貞治様!」
「ああ、善八郎殿。
お久しぶりです、しばらく彦根にいますのでまたよろしくお願いします。」
「そんな固い言い方じゃなくて良いですよ。」
善八郎は笑って言った。こうして友人に会うと彦根に戻ってきた事を強く感じた。




