第七十五幕
直亮様の許可が下りて、僕が彦根行きの準備を整えている間にも手紙のやり取りなどで誰を呼ぶかなどの話し合いも進んでいた。そんな中で一通の手紙が届いた。
「直弼様、彦根の志津様からお手紙が届いてます。」
直弼様は嬉しそうに手紙を受け取って急いで開けたがどんどんと顔色が悪くなっていった。
「どうかされましたか?」
僕が聞くと、直弼様は手紙を手渡してきた。僕は手紙を読んだ。
「志津殿は来られないという事ですか?」
「読んでもらった通りだな・・・」
「これまで十分のお情け頂戴いたしました。その大切な思い出を胸にこれから過ごしてまいります、ですか・・・・。弥千代様は佐登殿がお連れになられるんですね。」
「私は志津と一緒にいたかったのだがな。まだ日はあるから説得できないか試してみよう。
他に呼ぶ人間を選ばないといけないんだが貞治はどう思う?」
あきらめきれない感じは伝わってきたし、志津殿は来てくれるだろうという期待もあったからかなりショックを受けている感じだ。それでも次につなげるために話題を変えようとしているようだったので、
「直弼様のご友人をほとんど連れてくると彦根藩内に直弼様派の人間が不足しますので、少しは残して頂けると私は助かりますね。ただ、こちらでの意見も聞けて信頼のおける人が良いですよね?」
「そうだな、藩政を任せる人間よりは学者として専門的な意見を貰える人が多い方が良いな。」
「それでいうと儒学教授の中川殿や国学者の長野殿が優先的な方が良いですかね?」
「そうだな、色々と助言も貰えるからな。」
知り合いの名前を出してみたがやはり直弼様の顔色が晴れる事はなかった。
-彦根-
朝から慌ただしく人が行きかう屋敷内で志津は一人で座っていた。直弼様に呼ばれた方たちが江戸に向かう日の朝にしては準備が整っていなかった。屋敷の中から行く人は使用人が多かったが弥千代が一緒に行くというとこともあって準備する事が多くなっていた。
「志津様、そろそろ出発のお時間です。」
弥千代と一緒に行ってくれる佐登さんが呼びに来てくれた。
「はい、すぐに行きます。」
今生の別れとなるかもしれない見送りに向かって涙をこらえながら玄関へと向かう。
多くの人が行き返っている中で佐登さんが弥千代を連れてきてくれた。弥千代を抱きあげて重みを感じると涙があふれてきた。その光景を見ている屋敷の人達の目にも涙が浮かんでいる。
申し訳ない気持ちになりながらも弥千代を抱きしめた。
佐登さんが弥千代を引き取ってくれて籠の中へと入って行った。ゆっくりと進んでいく籠を見送りながら涙が止まる事はなかった。




