第六十九幕
直弼様の周りは慌ただしくなっており、江戸城に毎日のように行かれている。新参者として挨拶しなければいけない人がたくさんいるのだろう。
僕は従者という立場だが、直亮様からの許可が下りず同行する事ができずにいた。そんな僕はというと彦根藩屋敷で翻訳をしたり、江戸の街を歩きながら散策をしたりして直弼様の帰りを待つ事が多かった。
今日も各藩の屋敷が並ぶ通りを歩いていた。反対方向から歩いてきた人が僕の前で止まり、
「おや、君は井伊家の従者の方ではなかっただろうか?」
突然、声をかけられたので誰だろうと顔を見るが見たことはある気がするが誰だかわからない。服装から身分の高い人のように見えたので失礼のないように
「そうです、彦根藩井伊家のこのたび世子になられた井伊直弼様が従者の脇貞治と申します。」
「ああ、やはりあのとき藩屋敷の玄関で剣の修練をしていた若者だな。おっとこちらも名乗らねば失礼に当たるな。水野忠邦だ。覚えておるかな?」
「ああ、水野様でしたか。すみません、一度で短時間しかお顔を拝見できておらず気がつくのに時間がかかってしまいました。」
「まぁ、そうだろう。もう10年も前の事だからな。
そなたはその見事な体格だったから私も気がついただろうが、私は色々とあって10年とは思えぬほどに老けてしまったからな。」
「大変なお役目お疲れさまでした。」
天保の改革は様々な点で今までの改革の反省点を考慮して行われたものの改革に対する賛同をあまり得られなかった上に反発する者に対する厳しい取り締まりで批判を呼びうまく行かなかったようだ。そして改革の失敗は水野忠邦という一個人の責任という形で処理されたらしい。
「いやいや、私の力が及ばなかったがために多くの者に厳しい生活を強いる事になってしまった。
私は隠居して今はのんびりとさせて貰っているよ。
ところで、直弼殿が世子となられたというのも大変ではないですか?」
「どういう意味でしょうか?」
「家来の方にこのような事を申し上げるのもどうかと思うのですが、直亮様は優秀な反面、何といえばいいのか直亮様は人を選ぶというかひいきをするところもありますから気にいられないと厳しい所もあります。他にも物事の考え方が先進的というか理解できないような部分もあるなどなかなかにお付き合いするの難しい人ですからね。」
「あーそうですね。難しい人ですよね・・・」
この時代の人ではないからそういう面は持ち合わせている事を僕は知っている。その辺がばれないように気を使って人付き合いをしている可能性もあるのかな?言えない事なので話を合わせておこうと思った。
「藩士の中にも不満が出ているとの噂を聞く事もありますからご注意された方が・・・・」
水野殿が言いかけたところで水野殿の家来の人が
「忠邦様、そろそろお時間です。無駄な話をされている場合ではございません。」
「うむ、そうだな。では、またお会い出来たら嬉しく思います。」
「失礼いたします。」
僕は頭を下げて水野殿を見送った。おそらく家来の人も水野殿が言ってはいけないところまで言いかけたので止めに入ったのだろう。直亮様に関する良くない噂は当然ながら僕も聞いていた。
何か意図があっての行動なのか、それとも現代人と江戸時代の人の常識のずれから来る行動によるものなのかはわからないが気を付けた方が良いなと僕は思った。




