第六十七幕
二月二十八日、直弼様と共に江戸に来てから10日が経った。
今日は直弼様と直亮様が江戸城に行き、正式に直弼様を世継ぎとする事を将軍の家慶に報告しに行く事になっていた。さすがに将軍との謁見に付いて行く事はできないので屋敷で待つ事になった。
徳川家慶は江戸幕府第11代将軍で天保8年に45歳で将軍となった人物である。老中の水野忠邦殿を重用して天保の改革を行わせた人物ではあるが聞いた話では自ら政策を行うというよりも優秀な人を起用する事に長けている人物らしい。ただ言論統制とかを厳しく取り締まった人でもあり天保10年にはモリソン号事件や鎖国に対して批判した高野長英や渡辺崋山などの蘭学者を投獄・処刑した蛮社の獄などもこの人が将軍の時の出来事である。蘭学者に対して少しあたりが強い所もあるのかもしれない。
僕はとりあえず屋敷で待っているだけなのだが少し緊張して待つことになった。
江戸城内廊下
「緊張しているか?」
直亮は直弼に向かって聞いた。
「緊張はしておりますが、息苦しいというわけではないです。将軍様に会えるというのも少し楽しみです。」
「会えたから幸せになれるような存在でもないがな。まあ気楽にいけばいいぞ。」
直亮の正直な感想だ。何度か会っているが前将軍の家斉が院政のような形で少し政治にかかわっていた事もあるし将軍となったのも40代半ばだったから幕府内でも影響力が高いわけでもない。趣味を楽しんだりする方が好きな人間なので、そういう意味では多趣味でどの分野に関しても精通している直弼とは気が合う可能性は高い。そんな事を考えていると直弼からはどんな風に見えているのかと思うと、緊張をしている自分を元気づけようとしているように見えているのかもしれない。
そのまま黙って将軍の待つ部屋まで向かった。将軍のいる部屋に入り将軍の目の前に座り、直弼を少し下がらせて座らせた。そして
「本日はお時間を頂きありがとうございます。直元の急死により世継ぎを末弟の直弼とする事に致しました。紹介も含めてお連れ致しました。」
「うむ、幕府の中でも歴史のある彦根藩の跡取りは重要な問題であるので早期解決できてよかったと思う。」
家慶が言うと直亮は
「では直弼、自己紹介をせよ。」
「はっ。井伊直弼にございます。まだまだ勉強中の身ではありますが精進してまいりますのでよろしくお願いします。」
「うむ、色んな趣味を持っているそうだな。趣味の話でも付き合ってもらえることを期待しているぞ。」
「ありがとうございます。」
直弼が頭を下げている所を見ながら直亮は家慶の懇切丁寧で心がこもっている対応から直弼が一定の行為を得られた事がうかがえた。初目見えは大成功になったと思った。