第六十四幕
弘化3年(1846年)一月
江戸の直亮から手紙が届き、直元の訃報が伝えられた。
僕が江戸で直元を暗殺してからかなり時間が経っていたが、その期間で直元が病気で弱っていっているという話が江戸中に広まっていた。こうした下準備の結果とくに暗殺されていたという噂すらたつ事がなかった。
直弼様自身は求道者として仏門に入る事も視野に入れて大通寺に入寺を志願した事もあった。
しかしほんの数か月前に正式に直元の病気がヤバいという話になり直弼様に庶子のまま埋木舎にて過ごせとの命令も来ていた。直弼様も動揺されているようで色々な人に手紙を送ったりもしていた。
直弼様の昔から世話役をしている孫大夫さんも江戸への出府は世継ぎの話だと盛り上がっていた。
直弼様は落ち着いて対処していたがやはりそわそわとしている感じはあった。
手紙が来た翌日にはどこから話を聞きつけたのか長野主膳が来た。
二人はお酒を飲みながら和歌の話をしていて今後の話などは一切出なかった。
僕も途中まで一緒にいたが、途中で西郷さんから呼び出されたので退席した。真夜中であったが向かった。
「直弼様のご様子はどうですか?」
西郷さんに聞かれたので僕はありのままを答えた。
「やはり動揺はありますね。財務とか家政をして下さっている用人の犬塚外記殿から江戸に入ってからの過ごし方とかを詳しく教えてもらってましたね。
今は長野殿と和歌の話をされてました。」
「事の真相には気づきそうな雰囲気もないという事でよかったですか?」
「大丈夫ですね。そこはあまり気にされてませんでしたから。
どちらかというと自分を取り巻く環境が一気に変わるというのが対応できない感じでした。
西郷さんはどのあたりまでご存じなんですか?」
「まあ、どちらかというと計画立案の段階から私主体でしたね。直亮様から話を聞いて貞治殿を推薦したのは私でした。貞治殿の腕も知っていましたし何より信頼できるのが貞治殿でしたから。」
「信頼して頂けるのはありがたいですけど、やはり初めての事だったんで難しかったですね。」
「まあ、今後も色々と経験される事が増えてくると思うんですけど、直亮様が言うにはこれからの方が大変だから頑張ってほしいとも言われてました。
明日から直弼様に同行してもらって支えて頂きたいと思っているのでよろしくお願いします。」
「承知しました。」
僕も直弼様と一緒に江戸に向かう事になったのだった。




