第六十ニ幕
僕は紀州(現代の和歌山)の親藩である松平家へと蘭学の授業をするためという名目で直弼様に長い休暇を頂いた。
この名目も直亮様が考え、直亮様の命令で行く事になっていた。僕は決行の日まで江戸の宿屋に潜んでいた。
もちろん、長期で外にも出ない奴がいるとなると怪しまれるので、大名の依頼で蘭学書を翻訳するために長期で滞在している学者という体をとっている。
これに関しては嘘偽りがなく、待機している間は暇だろうと直亮様から大量の蘭学書を渡されていた。
実際に翻訳の仕事をしている時に女中さんが入ってきて本当に翻訳しているところを見られたり、外国の事について聞かれたときは答えられる範囲でしっかりと答えた。
そうこうしていると大量の蘭学書を翻訳させられている可哀想な学者という認識が宿屋の共通認識となっていた。
僕としては色々と疑われる事もなく、溜まった仕事を減らしながら命令を待つという自然な状態となった。
そして、その日は訪れた。
直亮様の話では直元は取り巻き数人と酒を飲んでいるらしい。
この取り巻き達も仕事を一切せずに直元に媚を売っては他の所で問題を起こす害臣であるという事で一緒に始末する事になった。
事前に直亮様が激怒して直元の周りをフラフラとしていた中途半端な状態の者達が近寄らないようにしたらしく、直元の部屋の周りに寄り付く者はいなくなっているらしい。
昼間から酒を飲んで騒いでを繰り返しているような世継ぎを放置して置くことができないと言い、それに追随して怠惰に生活する者を家臣とは認めないとまで言いきったらしい。
そこまで言われると家臣どころか芸者や女中も近づかなくなったらしい。そんな中でも直元は改める事をせずに酒を飲んでいるらしい。今日の酒には眠くなるように薬が仕込まれているらしく多少の物音では起きないようになっているらしい。
僕の仕事は侵入して喉元を刀で一突きにする事だ。
もし反撃に会うような事があっても僕に勝てるくらい武芸に励んでいる者はいないらしい。直弼様と一緒に鍛練している間にいつのまにか僕は彦根藩の中でもかなりの使い手となっていたらしい。僕はこっそりと彦根藩屋敷に入るとまっすぐに直元の部屋へと向かった。念のため障子を少しだけ開けて中を覗き込んだ。
全員が倒れている。僕は静かに部屋に入り近場にいる家臣が眠っているかを確認しようとした。だが、家臣の首には赤い線が入り、すでにこと切れている。他の者も確認していくが首を切られてすでに死んでいる。その確認をしていると部屋の奥の方から物音がしたのでそちらを見ると直元が刀を振り上げて今にも振り下ろそうとしている所だった。
僕は慌てて刀の鞘の部分で直元の攻撃を受けた。
「ふん、直亮の刺客はお前か脇貞治!
まぁ、こちらとしては都合がいい。私の家臣は世継ぎの座を奪いたい直弼によって殺され私も襲われたと言えば筋が通る上に直弼まで排除できるのだからな。」
受けた直元の刀から血が飛んでいたので
「家臣はあなたが殺したのですか?」
「そうとも、そもそもこんな奴らは家臣でもない。私を暗殺から守るための盾だ。こいつらがそばにいれば毒を盛る事も一人で居るところを襲われる事もなかった。
まさか薬で眠らされるとは思っていなかったが、この機会に暗殺者を殺せると思ったのだ。そして、暗殺者を向かわせた直亮を貶めてやろうと思い機を伺っていたというわけだ。」
「自分が殺してないのに家臣が死んでいれば、確認しなければいけないですからね。ですが、不意打ちは失敗しましたよ。
人を呼んで助けでも乞いますか?」
「ふん、お前を殺してからでも遅くはない。さっさと死ね!」
直元は刀を押し込んできたが、直弼様の攻撃に比べれば何て言うこともない感じだった。僕は刀の鞘で直元を弾き飛ばして、刀を抜き上段から振り下ろした。直元は受けようとしたが僕の刀は直元の刀を真っ二つに叩きおりそのまま直元を切り裂いた。
直元は膝から崩れ落ちた。
僕は慎重に近づき、直元の死亡を確認した。
僕が直元の部屋を出ると木俣守康殿が立っていて
「お疲れさまでした。まさか直元が家臣を殺しているとは思いませんでしたが、結果としては手間が省けましたな。
死体の処理は私が請け負いますので、このまま荷物をまとめて彦根藩に直接むかって下さい。」
「承知しました。」
僕は言われるままに行動して江戸から彦根へと向かった。




