第五十八幕
天保15年、西暦でいうと1844年くらいになる頃に埋木舎は慌ただしい日常を送っていた。
天保14年に入ると長野主膳は奥さんの多紀さんを連れて京都の二条家のもとに行ってしまったため、直弼様の国学は現在は独学となっていた時に秋山善八郎の妹の志津殿に異変というか直弼様にとっては吉報となる出来事が起きた。直弼様も僕も30歳になっていたこの頃に志津殿の妊娠が発覚したのだ。
天保15年は12月初めに開元して弘化と元号が変わった。
季節の移り変わりも早いものに感じたのは天保12年に志津殿が妊娠されたときは残念ながら死産になってしまったために志津殿の体調をしっかりと観察して大事に大事に埋木舎全体で支えてきたからというのもあるだろう。そんな中で迎えた弘化2年2月11日、いつも落ち着きがある直弼様が今まさに出産している志津殿がいる部屋の前でウロウロと言ったり来たりしている。
高校生の時にこっちの時代に来たから現代の出産というものがどんな感じなのかもわからないが、確たる医療が進んでいないこの時代では出産も命がけである。生まれてくる赤ちゃんもそうだが、母となる志津殿の命の危険もある。僕は歩き回る直弼様とは反対にもしもの事を考えるとその場から動く事も出来ずに正座をしたままになっている。
そこに鉄臣が入ってきて、
「直弼様、貞治様。出産とはそんなに短期の戦いではありません。
命が生まれてくるというのは安全面も考慮してゆっくりと行うものですから、今のお二人ではお子様が生まれる頃には疲弊しきってお子様を抱くどころか見る事もできなくなりますよ?」
医師の息子である鉄臣は何回か出産も勉強として立ち会った事があるようでその心構えを説かれてしまった。
確かに歩きまわっている直弼様には疲労の色が見えたし、長時間座っていた僕の足は限界がきてかなりしびれていた。僕は意を決してしびれる足で立ち上がり、
「鉄臣の言う通りですね、お茶菓子でもとってきますので少し休憩しましょう。」
僕がそう言って不格好に歩き出した時の事だった。志津殿がいる部屋から大きな赤ちゃんの泣き声が聞こえてきた。僕は直弼様の方を見ると直弼様は安堵したように笑い、少し不安そうな顔にもなった。
部屋のふすまが開き
「直弼様、元気な女の子です。志津殿もご無事です!」
出産に立ち会っていた女中がそう告げると助産師の女性と万が一のために控えていた三浦北庵先生が
「直弼様、どうぞこちらへ。」
直弼様と僕が部屋に入ると、布団の上で汗だくの志津殿が元気に泣いている赤ちゃんを抱いてい直弼様に微笑んでいた。
「直弼様、元気な女の子です。」
志津殿はか細い声で言った。目には涙が浮かんでいる。前回は死産だったために志津殿にかかっていたプレッシャーはとんでもないものだっただろう。そして元気な子供を抱けた悦びというのもあったのだろう。直弼様は志津殿の隣に座り赤ちゃんの頭を嬉しそうになでて
「ありがとう志津。お疲れ様。」
直弼様がそういうと、志津殿が
「この子に名前を付けて頂けますか?」
「もちろんだ。女の子だったら弥千代という名にしようと思っていた。
どうだろうか?」
「立派なお名前ですね。」
二人の本当に幸せそうな雰囲気を感じていると、善八郎が駆け込んできた。
「志津、大丈夫か?」
あまりの勢いにその場にいた全員が驚いたが次の瞬間には笑い声に変わった。
直弼様も志津殿も笑顔で善八郎を迎えて子供の顔を見せている。
僕は直弼様のために水を採りに部屋を出たところで見た事ない男に声をかけられた。
「脇貞治様ですね?」
「そうですが、あなたは?」
「失礼いたしました。このようなお祝いの雰囲気の中たいへん失礼致します。直亮様の極秘の命によりいちど貞治殿おひとりで江戸の直亮様のところにお越し頂きたくお迎えに上がりました。
今日は直弼様にとっても特別な日になりますので、明日でかまいませんので直弼様に許可を頂いて下さい。私は西郷家の屋敷におりますので準備が出来ました直亮様の使いの者に会いに来たとお伝えください。それではよろしくお願いします。」
男はそれだけ言ってその場を立ち去って行った。直弼様にとってとても嬉しい出来事があった半面に直亮様からの極秘の命令で迎えに来たという男の出現は何か嫌な予感がして仕方がなかった。