第五十四幕
西郷家の屋敷に入ると西郷殿が玄関で出迎えてくれた。
「遅い時間にすみません。
直亮様からの書状ですぐにお伝えしろとの事でしたので。」
「緊急の御用という事ですか?」
西郷殿は困ったように笑い、
「私も貞治殿への手紙の内容はわからないです。
書状をすぐに見せろとのみご命令だったので。」
西郷殿は書状を僕に渡し、
「屋敷に部屋をご用意しております、そちらでご確認ください。」
僕は案内された部屋で書状に目を通した。
『突然の手紙で困惑している事だろう。
いつか話した私の役目について少し懸念する事があったためにこうして書状で伝える事にする。
その懸念とは直弼が接触を望んでいる長野主膳義言という国学者についてである。
彼の者は尊王思想が強いものと聞き及んでおり、直弼がその影響を強く受ける事が今後のためとはどうも思えない。だからと言ってそれを阻止する事も直弼に良い影響を与えるとは思えない。
この国の未来に繋がる分岐点は様々な所にあるだろうが、今もその分岐点なのではないかと思う。
長野主膳なる者が朝廷とのつながりを持っている事からその関係性を持つこと自体は良い事ではあるが、思想に影響を受けすぎる事には問題があると思う。
そこで貞治にはバランスをとる存在となって欲しい。尊王と攘夷は必ずしも一つではなく根本では対立するものだと私は思っている。貞治も知っているように外国の技術ならびに文化は進んでおり、現状の日本では到底外国との戦争には勝てない。開国への道を進めるかじ取りとして直弼には中心にいてもらわなければいけない。直弼の事をよろしく頼む。』
直亮様からの手紙は要約すると長野主膳に気をつけろという事なのだろうが後半に少し違和感があったが、ここで大事な事を思い出した。
今まさに直弼様は長野主膳と会っている。幕末には尊王攘夷を掲げえて討幕運動が起きている。
様々な思惑の中で討幕を目指した者達が共通の旗印とした考え方で、歴史的な考えから天皇に政権を戻すべきだとする尊皇派や外国からの干渉を排除し鎖国状態を維持しようとする考え方の攘夷派がお互いに都合のいい場所を折り合い地点として混ぜ合わせたのが尊王攘夷運動である。
結局はまとまった考えなどなく烏合の衆であったにもかかわらず討幕が成功した背景には幕府の政権への信用性や信頼性がなかったために敵が増え続けた事が原因なのではないかと思う。
『幕末は井伊直弼の死から始まっていた』と僕がこの時代に来る前に受けていた日本史の授業で先生が言っていた。もう遠い昔のように感じるがこの言葉だけはしっかりと覚えている。
なぜなら今まさにその井伊直弼と一緒に暮らしているからである。
僕は埋木舎に向かって走り出した。