第五十二幕
天保13年(1843年)11月12日、西村孫左衛門が埋木舎を訪れて
「直弼様、貞治様。
多賀から使者が来て長野殿が来られたようです。
面会の日はいつがよろしいですか?」
面会の日時を20日に設定して、15日までに和歌を送りたいと直弼様が言われたので日時の確認を長野殿にしてもらったうえで手紙を送る事になった。
15日に直弼様が
『ひたすらに あふみの湖の 松原や まつかひありし けふぞうれしき』
としたためて手紙を送った。
長野主膳義言は三浦太沖と向かい合って座っていた。三浦が
「緊張されているのですか?」
顔が強張っていたのかと思い少し笑って、
「まったくしていないといえばウソになります。
ですが、あまりに皆がすごい人物だというので少し対面するのが楽しみではあります。」
「和歌を送られたようですがいかがでしたか?」
「三浦殿が褒めておられていたようにとても美しい和歌ですよ。
良く勉強されているのがわかりますし、感性も豊かですね。」
和歌が上手いというのは本心だし、さまざまな学問や武芸をたしなまれているという話を聞いて、色んなン物に手を出す者は何も極める事はできないと思っている。二兎を追う者は一兎をも得ずというのに、それが三兎・四兎・五兎となれば、何も手にできない者の典型的な感じである。
皆が褒めているから話を合わせているが特に期待しているわけでもない。
藩主になれるわけでもない藩主の弟という身分の者と仲良くしても意味がないように感じる。
藩主に取り入り、少しでも多くの門人を獲得できるようにつなぎとして使えればそれでいいと思っている。利用していること自体は三浦はわかっていないが上手い事いっている気がする。
「それではそろそろ行きましょうか。」
三浦が言ったので長野はうなずき、
「それでは井伊直弼殿にお会いできるのを楽しみに向かいましょうか。」
門人の木村摂津・堀田三省・中沢善輔と三浦太沖を連れて彦根へと向かった。




