第五十一幕
「それで長野殿の件はどうなった?」
直弼様に聞かれたので、三浦先生から聞いた話をそのまま話した。
その後、長野殿のお弟子さんから訂正を受けた事について話した。
「お弟子さんの話では京都じゃなくて、伊勢の方に行かれたそうです。
京都のお公家の方からも手紙は来てたけど別件だったらしいです。」
「じゃあ、今はどの辺におられるのかわからない全くわからないって事だな。」
直弼様は少し残念そうに見えた。かなり楽しみにされていたので会えなかったのはとても残念だっただろう。
その後も色々と調べていくと志賀谷というところで高尚館を開いていたらしい。
4月の末に多賀の方に聞き合せたらまだ志賀谷におられたので西村孫左衛門に連れてきてもらおうとしたが、残念ながらそれもうまくいかなかった。孫左衛門が志賀谷についた日の朝に伊勢に向かって出発してしまったらしい。それを聞いてまた直弼様は残念そうになっていたが七月にまた多賀の方に来るという話を聞いたので、手紙を書かれる事にしたようだ。
「会えなかった寂しさとかを伝えた方が良いな。
歌にして伝えてみるか・・・・、他にもいくつか作って添削してもろおう。」
「来られた時にすれ違いにならないように、多賀大社の方に来られたら孫左衛門に連絡してもらえるようにも頼んだ方が良いですね。」
「確かにそうだな、後は教えを頂きたい事もつたえよう。」
「そうですね、和歌だけでなく学問もできる方なわけですから、学べることも多そうですね。」
そして、直弼様は手紙を書き始めた。
残念ながら七月の対面は実現しなかったが、11月にその機会がやって来るのだった。




