第五十幕
「こんにちは、北庵殿はご在宅ですか?」
僕は直弼様に言われて三浦北庵医師を訪ねていた。
特にお体が悪いわけではなく、長野という国学者を紹介して貰うためだ。いきなり本人が出向くのは少し失礼なので僕がアポを取りに来た感じだ。この時代ではアポなんていっても伝わらないから会う約束の取り決めに来たという方が通じる。
こういう時に横文字の英語が浸透していた現代ってけっこう楽だったなと思う。廊下の奥から北庵殿が走ってこられた。
「急患ですか?」
医者の家をとつぜん訪ねればそう考えてもおかしくないなと思い
「すみません、急患ではないです。
井伊直弼様の従者の脇貞治です。」
「ああ、貞治殿!
直弼様の歌詠みのお誘いですか?」
僕も北庵殿とは面識があったが、急いで駆けつけられたので一応名乗ってみた。北庵殿も直弼様の和歌を詠むお友達なのだからこうした反応は当然だろう。
「いえ、このあいだ先生に教えて頂いた長野主膳殿にお会いしたいのですが、今はご在宅ですか?」
「ああ、長野殿ですか・・・・」
「どうかされましたか?」
僕が聞くと北庵殿が
「あの方は京都に行かれてしまいました。
何やら知人の公家の方からお手紙が来たようです。
門徒の方達はこちらにおられるのでまた戻ってこられると思いますが、それがいつとは明言できませんね。」
「そうでしたか。
では、改めて直弼様に書状を用意していただいて、彦根に来られたさいにご連絡を頂けるようにお願いしてみようと思います。
ついでにいつ京都に向かって行かれたのですか?」
「本当に2・3日前ですね。
もう少し早く来ていただければよかったのですが。」
「まぁ、仕方ありませんね。
では、改めてどちらに向かわれたのかを聞きに来ます。」
あともう少しという所ですれ違ってしまったようだ。
携帯があれば今どこにいるのかとすぐに聞けるし、電車や車があればその日には京都に着く事ができる。でも、そのどちらもないのならどういう道で進んでいるのか、いつ目的地に着くのかもわからないため、追いかける事もできない。
人と会うだけの事がこんなにも難しいと感じるのはきっと僕が何もかも恵まれた時代に生きていたからなのだ強く感じた。