第三十一幕
「直弼様、この度は誠に残念でございました。
ですが、私としてはこうしてまた直弼様とお会いできて嬉しく思います。」
彦根の屋敷に着くと僕の義父である脇が走ってきて直弼様に挨拶した。家老という立場なのだから城にいればいいのにと思ったがそれほどまでに直弼様の帰藩が嬉しかったようだ。
「また世話になる、よろしく頼む。」
直弼様が短く返した。江戸から彦根までの長旅で疲れているのだろう。僕は義父である脇殿を呼んで、江戸での出来事などを報告した。
そして、夜になり直弼様に呼ばれて直弼様の部屋に入ると直弼様は何も書かれていない紙の前に座って筆を持っていた。僕が
「何か書き物をされていたのですか?」
「私が今後の人生において何かを成すにしても成さぬにしても、こんな人生を送ったというのを残しておきたいと思ったのだが、自分目線であれはこうだったというのもあまり筆が進まなくてな。
そこで、貞治に私について質問してもらいそれに私が答える形で書いていこうと思ったのだ。
何でもいいから気になった事や私について気付いた事を聞いてくれ。」
難しいなと思った。そばにいて常に直弼様を見ている僕が聞けることは何だろうと考えていると、先ほど屋敷で働いている人たちが直弼様がこの屋敷を正式に『埋もれ木の舎』と名付けたという話を聞いたので、その真意を聞くことにした。
「それでは、なぜこの屋敷を埋木舎と名付けたのですか?」
「なるほど、そこを聞いてきたか。
では、この文の題名は『うもれきの屋の言葉』とでもしようか。
むかし、平家政権下で従三位まで出世した源頼政は埋木を使って辞世の歌に花咲く事もなかったと言い、古今和歌集の編纂に加わった藤原家隆卿は是をもって悦びとさせ、氷の下に春を待つなどそれの心だけれども家隆卿は『さつ事も うきも聞きしや 埋木の うもれてふかき 心ある身は』と言われている。
このようにいやしき名で記した事はとても体裁が悪く、世の人々の心に背くようではあるが、いましばらくの住居になにも書くこともしなければ古郷の軒端に書き付けたのは、この世を嫌がって避けようとしたわけではなく、そうは言うものの世を貪るようなか弱い心でいるわけではない。
かならずしも身分不相応な願いではなく、誘う水があれば東にも西にも行こうという気持ちだ。
望み願う事もないが、ただ埋もれ木に籠ってなすべき事をなそうと思ってつけた名前だ。」
「すみません、勉強不足で歌の方の意味がわからなかったです。
でも、直弼様があきらめずにこれからも頑張って努力していこうとしてつけられた名前だという事はわかりました。」
「この機会に貞治も和歌の勉強をするのもいいのではないか?
何なら教えてあげようか?」
直弼様の気遣いは嬉しかったが、直弼様からの教えは基本的にスパルタでしんどいので勘弁してもらいたいと思い、
「翻訳の仕事もありますから新しい事をするにしてももう少し落ち着いてからにさせて頂きます。
僕の脳の許容量を超えてしまいそうですからね。」
「そうか、まあ良いかな。
また機会があればいつでも言ってくれ。」
「承知しました。」
僕が答えると直弼様は笑って、
「この対話の形式は良いな。
自分で考えていたのでは見つけられなかった問題も見つけられるし、何より説明する事でより考えが深くできるからな。
貞治、また頼む事にするからその時のために色々と考えといてくれ。」
「承知しました。」
前向きに努力し続けようとするその姿勢に僕は本当に尊敬しかしなかった。




