第三十幕
次の朝、次男が目を覚ますと目の前には刀を突き付けられた男が目に入った。刀を突き付けていたのは次男が生まれた時から世話役をしてくれている家老家の男だった。
「守康、待ってくれ。
その者は怪しいものではない。」
守康と呼ばれた家老家の男は次男を一瞥してから
「このような姿の男が怪しい者でないなどあり得ません。それにこやつは昨日の侵入者ではありませんか。
もし暗殺に来た者だったらどうするおつもりだったのですか?」
「私を暗殺して何の得がある?」
「家中には病弱な嫡子でもない子に金をかけるのが馬鹿らしいという者もいます。嫡子だから狙われるような時代でもなくなっているのです。藩の財政の厳しい所ならなおの事です。」
「彼は違う。もし暗殺者なら私が今目覚めているわけないであろう?」
「ではこの者は何者なのですか?
年齢的には若とそれほど変わりませんし、見た事もない着物を着ています。」
「わからんが敵ではない。」
「若がそういわれても信じるものがどれほどいるでしょうか?おい、そこの者名を何と申す?」
「あっ、亮吾って言います。」
「聞かぬなだな、今は何歳だ?」
「15です。」
亮吾と名乗った男は答えた。
「若と同い年か。それでなんでこの場所にいる?」
「気が付いたらここにいたんですよ。ここはどこなんですか?」
「守康、記憶喪失なる病かもしれぬぞ?
この間、読んだ本で記憶をなくす病があると書いてあった。この者が何者かはわからないが、とにかく記憶が戻るまでは匿ってやれないだろうか?」
「若がそう言われるであれば善処しましょう。
しかし、少しでも怪しい動きをすればどうなるかわかっているな?」
「はい。」
亮吾はおびえながら言った。
「正確に言うならこの亮吾という男は記憶喪失でもなんでもなかった。
この次男が亮吾を守るための嘘だったし、家老の守康も嘘だという事には気づいていた。
この二人の出会いが時代の大きな変換点だったのかもしれない。
っと、話が長くなったな。今日はここまでにしておこう。
また彦根に帰った時にでも続きを話してやろう。」
直亮様はそう言った。昔話を語っているような感じもあったが結局なにが言いたいのかわからない話だった。僕は挨拶を終えて廊下を歩きながら考えていた。
『亮吾』という現代風の男の名前と突然現れて周囲を騒がしくさせる様は自分がこの時代に来た時と同じような状況だと思った。
もしかしたら・・・・・・、そんな考えが浮かんだが確証もない。でも、もしも本当にそうなのであれば聞いてみたい事もある。そこでふっと直元が言っていた『もともと病弱だった直亮が・・・』という言葉を思い出した。ただの偶然?それとも必然なのか?
ただこの話の真実を知るのはおそらく直亮様だけなのだろうし、直元の知りたい直亮様の秘密にもかかわる事のように思えたので、誰にもこの話をしないでおこうと決めた。
そして翌日・・・
「よし貞治、忘れ物はないか?
もう二度と江戸に来ることもないかもしれないが、短い間であったのに随分と寂しく感じるな。
良し彦根に帰ろう。」
直弼様が元気よくそう言った。僕は直弼様がもう一度とは言わずに何度も江戸に来る事を知っているからどう返そうかと悩んだが、
「彦根に帰ってまた学び直しですね。
次は何を勉強されるんですか?」
直弼様は目をキラキラとさせて、ブツブツと「禅も極めたいな」・「友と茶を飲むのもいいな」・「久しぶりに砲術もできるな」といった後で笑いながら
「やりたい事は多いが新しい事にもどんどん挑戦しよう。
早く帰りたくなったな」
「ええ、帰りましょう。彦根に・・・・」
僕はそう言って直弼様と共に彦根に向かうために東海道を進む旅路へと一歩を踏み出した。




