第三幕
ドサッ。僕の体は地面に倒れこんだ。
体中に痛みが走ったが、それほど痛くもない。
僕は周りを見渡してみた。人が信号無視で突っ込んできたトラックにひかれたのだから大騒ぎになっているだろう・・・・・・・。
・・・・あれ?僕は目を凝らしてもう一度周りを見た。目をこすって見えている光景が本当かどうかも確かめてみた。
僕は高校からの帰り道で、町中を歩いていたはずなのに周囲一面木々が生い茂った斜面に横たわっていた。
救助に来てくれた人どころか僕にぶつかったトラックすらない。
トラックに轢かれて吹き飛んだからといって見たこともない場所まで飛ばされることなんてありえない。
もしも、そんなことがあったとしても僕は確実に死んでいるはずだろう。
僕は上半身を起こして、横たわった状態から座った体勢になった。
見たこともない景色が広がっている。コンクリートの道も家もない。木々が生い茂り、人の気配すらない状況だった。
とりあえず、人を探すために立ち上がる。学校の制服で靴もしっかりと履いている。
トラックにぶつかられたはずなのに制服はどこも破れてはいなかった。
斜面をゆっくりと下っていくと木造の建物の庭先に出た。
「おぬし、そこで何をしている?」
声の方を見ると少年が木刀を向けている。上半身は裸で袴のようなものをはいている。
髪の毛は長く、後ろで一括りにされている。
「あっ、えーとここの家の人ですか?
すみません、道に迷ってしまいまして、できれば駅までの道を教えてもらえますか?」
「エキとは何だ?場所のことか?」
「えっ?駅も知らないの?君いくつ?」
正直、話してみた感じでは幼さが残る中学生くらいかなと思っていたが駅も知らないなら大きめの小学生くらいなのかもしれない。いや、小学生でも駅くらい知っているだろうけど。
「私は数え年で17だ。
ところでおぬし見たこともない服装だが、どこから来たのだ?」
この制服を見たことがないということかと思っていたが、次の瞬間その考えは否定された。
「鉄三郎様、どうかなさいましたか?
んっ?何者だキサマ?」
現れた男は教科書で見たことがあるような武士が着る服を着て、まげを結っている。
この男は40代くらいだが、この17の少年に敬語を使っている。男は刀を抜いて僕に近づいてきた。ドラマの撮影現場に迷い込んだのかとも思ったが、そんな感じではない。
太陽の光が刃の部分に反射している。ああ、これは本物の刀かもしれないと思っていると男は刀を僕に向け、
「なぜ黙っている?
もしや鉄三郎様の命を狙って侵入してきた不届き者だな。
この場で成敗してくれる。」
「待て、脇殿。
この者は道に迷いここにたどりついただけだ。
それに、庶子でしかない、しかも跡取りになることすらないような私を殺す意味など誰にもないだろう。」
「ですが、念のためということもございます。
何より、この者の出で立ちは今までに見たこともございません。
夷敵やもしれませんぞ。」
「脇殿、ならばなおさら、私はこの者に殺されることはない。
外国の者が幕府の大老を預かる家の子とは言え、埋もれ木である私を殺しても意味はないではないか。」
「またそのような事を。
お兄様方の家臣が申している戯言にございます。
自ら仰るべき例えではありませんよ。」
「それは良い。
して、其方は名を何と申すのだ?」
同い年には見えない少年ではあるが明らかに僕よりもしっかりとしているなと思っていたら、少年は僕に聞いてきた。
「金城貞治といいます。」
「かなぎか・・・聞いたことが無いな。
よその藩から来たものか?」
脇と呼ばれていた男性が聞いてきた。藩とは、江戸時代に各地方を治めるうえで作られていた自治体のようなものだと井上先生が授業で言っていた。
これがドラマの撮影ではないなら、こんな事を聞かれること自体がありえない。
僕が黙り続けているのを見て、少年が
「答えにくい事情があるのだろう。
世の中は決して安定しているわけではない。
幕府の体制になってからもう180年近くなっているのだ。
財政の厳しい藩もあれば、後継者争いが激しい所もあると聞く。
この者もきっとそういう場所から逃れてきた者なのだろう。」
「ですが、おかしくありませんか?
道に迷ったからといって、この場所にたどりつくのは無理です。
ここは城門の中にある屋敷ですし、城の周りは堀がありますから入る時に気付くはずです。」
「まあ、それも良いではないか。
久しぶりの客だ。どこか行く当てはあるのか?
ないのならば、しばらくはここにおっても良いぞ?」
「あ、ありがとうございます。え~と・・・・」
「ああ、そういういえばまだ私は名乗っていなかったな。
私は近江彦根藩第13代藩主井伊直中の14男で鉄三郎という。
藩主の息子とはいえ、父上が隠居されたのちに側室の母上との間に生まれた子なのでな、将来的に藩主になることも、他の家の養子となることもできずに部屋住まいをさせてもらっているのだ。
日の目を見ることがない私の事を『埋もれ木』と呼ぶ者もいる。」
「このお屋敷で今は何をされているんですか?」
「そうだな、例え藩主になれないとしても武士の家に生まれたからに武芸は励んでいるな。
さっきまで素振りをしていたところだ。最近は弓や兵学も学んでいるが、居合術とやらにも興味がある。
文芸の方も面白そうなものはたくさんあるな。
茶道や和歌、能楽なんかも見に行きたいと思っている。
学問もしておいて、無駄にはならないだろうから国学も学んでみたいな。」
鉄三郎という少年は目をキラキラとさせて話している。
「鉄三郎様、本当にこの者をここに置くつもりですか?
素性もわからず、奇妙な服装をしております。」
「かなぎ、おぬしの字はどう書くのだ?」
「金の城と書いて金城と読みます。」
「おお、いいではないか。
この城は金亀城と呼ばれることがある。
金の城と書く金城と似たようなものではないか。
それでよいか、脇殿?」
話を振られた脇という男性は困った顔をして、
「私は鉄三郎様のお世話を任されている脇という者だ。
お父上である直中様がお亡くなりになった今は20以上年の離れた兄上の直亮様が藩主を継がれている。
直亮様は直中様の次男であり、鉄三郎様との間に11人の兄上がおられる。
鉄三郎様も来年には元服される予定だが、その後はどうなるかわからない。
そんな身の上でどこの何者かもわからない者を側におけば、何か良からぬ事を考えているのではないかと疑念が生じてしまうかもしれない。
私は直中様から、鉄三郎様のことを頼むと言われている。
鉄三郎様に危険が及ぶような事はできるだけ避けたいと私は思う。」
話が進む中でこの人達は江戸時代を生きている人達なのだとわかって来た。
あれっ?ということは、僕はトラックにひかれたせいでタイムスリップしたのか?
僕は不安になって、
「今は何年ですか?」
「今は天保2年だな。」
「それは西暦で言うと何年ですか?」
僕は天保がいつなのかも知らないので、とても困っていた。鉄三郎が
「西暦?それは何だ?」
「え~と、どういえばいいのかな。
西洋の方の暦の数え方ではどれくらいとかかな?」
「金城は蘭学を学んでいる者なのか?
西洋の暦の数え方など我らは知らないぞ?」
「じゃあ、今は何時代ですか?」
「何時代?それは支配している者によって呼び名が変わって来た時に使うやつか?」
「そうです。」
「ならば、今は江戸幕府が支配しているので、おぬしの言い方なら江戸時代になるのだろう。」
鉄三郎の言葉を聞いて、僕は肩を落とした。
まさか、本当に江戸時代だとは思いたくなかったからだ。
脇殿はあごに手を当て、何かを考えているようで唸っている。そして、
「金城、そなたは蘭学・・・西洋について知っているのか?」
「そこまで詳しくはないですけど、一応、英語とかも勉強してましたし英検も2級持ってますね。地理の授業は終わってたから詳しいと言えば詳しいですかね。」
「そ、そなたが何を言っているのか全くわからんが、詳しいというのであれば、そなたをここに置いておく理由ができるかもしれない。」
「どういうことですか?」
僕は脇さんが何を言いたいのかわからずに聞くと、脇さんが
「現藩主の直亮様は蘭学にとても興味があり、蘭学書を集めたり、西洋の兵学なども学ぼうとされていると聞く。
鉄三郎様が蘭学を学ぶために呼んだ学者ということにすれば、皆が納得してくれるかもしれない。」
「じゃあ、そういうことにしよう。
ただ、聞かれない限り触れ回る必要はない。
あと、金城殿は長崎出身だという事にしておこう。
それなら、この年で学者であっても怪しまれないだろう。」
「そうですね。
では、これから蘭学の先生として振る舞ってくれ。わかったな?」
とりあえず、行く当てのない僕を置いてくれるというのだから言う通りにすることにした。