第二十三幕
直亮様は特に怒るでもなく、
「次期藩主となりたいのであれば、外聞を気にせよと常々言っておるだろう。
井伊家は初代様の功績により今の地位を頂いているに過ぎない。
政を行えるだけの知恵と人を導ける人柄がなければならぬといつもいっているはずだぞ?」
直元は未だに姿勢を正そうとせず、
「将軍様より嫡子と認められている私を廃嫡すれば、恥をかくのは兄上でしょう?
できもしない脅しになんの意味があるのでしょうか?」
直亮様は怒りもせずどちらかと言うと憐れんでいるようにも見える眼差しを向けて、
「この者は直弼の従者で脇貞治という。
優秀な蘭学者だ。
この者より外国な話を聞き、少しは日本の事を考える頭をもて。
貞治、こんな感じのやつだが、よろしく頼む。」
「はっ、承知しました。」
僕が答えると直亮様は部屋から出ていった。 直元がその後姿を睨んでから、
「それで?
優秀な学者の貞治殿は私に何を教えてくれるのだ?」
「どのような話にご興味がおありですか?」
僕が聞き返すと直元は眉をつり上げ、
「では直亮の秘密の一つでも教えて欲しいな。
いい加減に小言を言われるのもうんざりだ。
失脚させられるような秘密の一つでもわかれば私がすぐにでも藩主になれる。」
「残念ながら、私は直弼様の従者ですので直亮様に詳しいわけではありません。
今日も直弼様が学問の勉強に行かれ暇になったために連れて来ていただいたに過ぎません。
それに誰が聞いているのかもわからない場所で藩主を貶めようとする発言をされるのは浅はかだと思います。」
直元の眉が一段とつり上がった。そして、
「私の聞いていた直亮は病弱でいつ死んでもおかしくないほどの虚弱な子供だったと聞いていた。しかし、実際に会ってみれば立派な体格に病の一つもしないとなっている。
元々が限られた家臣しか直亮にあっていなかったのだから、今となっては真実を知ることもできんが不信感を持っておる者は他にもいるぞ。
どうだ、末弟の従者等やめて俺に仕えないか?」
「お断り致します。
直弼様を裏切るような事をするつもりは毛頭ありませんので。」
「なるほどな忠義の厚い犬だな。」
「お聞きになられたい事がなければ、私も失礼したいのですが?」
僕が言うと直元はニヤリと笑い、
「では、聞こう。
外国が本気を出せば日本はどれくらいで侵略される?」
周りにいた人達がザワザワとしだした。
僕はこの時代に来てから学んだ事も含めて考えてから、
「その外国に中国は含まれますか?」
「うん?まぁ含めても良いし含めなくても良い。」
「ならば中国を含めずに短くて一年、長くても二年といった所です。中国を含めるなら半年といった所ですね。」
「日本はそんなに簡単に侵略されるのか?」
直元も驚いているようだった。
「欧米諸国は、距離がありますが本気で侵略するつもりなら各国が有する植民地からいくらでも人を連れてくる事も物資を補給する事もできます。
何より技術の差がある以上は武器や戦闘方法も勝てるものが少なすぎます。
向こうは攻め放題ですが。こちらから欧米諸国の本拠を攻める事ができない以上勝てる見込みはありません。
さらに中国が含まれれば数で圧倒的に不利になるだけでなく、中国からの支援もなくなり物資の不足も考えられます。
飢饉の影響で普通に食べる事にも困ってる日本にそもそもが対外的な戦争をできるだけの体力もありません。
よって、外国と戦争になれば日本は一年くらいで負けるでしょう。」
「ふっ、そこまで言いきって良いのか?
こんな事を言っていたと幕府に告げ口する事もできるのだぞ?」
「私は直元様からの質問に事実を踏まえてお答えしたに過ぎませんので問題はありません。」
「ここにいるのは彦根藩の者の中でも俺に着いてきてるやつばかりだ。俺が質問した事実も揉み消せるんだぞ?」
「大丈夫です。
そこに西郷殿がおられますから、ここにいる誰よりも直亮様は西郷殿の話を信じられるでしょう。」
僕が言うと西郷殿が
「貞治殿、もうよろしいですよ。
貴重なお時間を無駄にしてしまい申し訳ありませんでした。
戻りましょう。」
直元が
「西郷、それはどういう意味だ!
おれと話したのが無駄だと言いたいのか?」
西郷殿は今まで見たことも無いような冷たい目で直元を見て、
「お身体は大事にしてください。
他の大名家でも嫡子が病で急死する事は良くあることですから。」
西郷殿が言って、踵を返して部屋から出ていった。僕は慌ててそれを追いかけた。




