番外編『庭師となりて事を成す』7
八月十五日、午後から貞義の隠れていた建物に人が集まってきた。その人達がこの建物を白書院と呼んでいた。
ついにこの時が来た、貞義は縁の下で小刀を強く握りしめた。
「うむ、実に気分が良い。」
斉昭は上機嫌で呟いた。
井伊直弼が桜田門外の変で死に、懸念していた脇貞治も直弼の死と共に姿をくらませたらしい。
つまり、私は正史を守ったのだ。吉田松陰のように歴史を変えようとはしなかったが貞治も一目置く存在ではあった。歴史学者であった前世でも聞いた事のない名前の直弼の側近が現れた時点でかなりの焦りを覚えた。
名も残らないように程度の男と見捨てる事もできたが、転生者や転移者の存在があるこの世では容易には見捨てる事もできなかった。実際に彼の存在が色んな事に影響を与えていたのは確かだ。
だが、それも五ヶ月前の事。
今は次のフェーズに入り、攘夷派と尊皇派が結びつき尊皇攘夷派が生まれた。幕末に進むなかで慶喜が将軍になり時代が進んでいくだろう。
あとは慶喜に任せて庭を愛でたり宴を開いたりと余生を楽しむ事にしよう。まずは今日の月見の宴を満喫しよう。そう思い斉昭は立ち上がった。
いつか抱いた斉昭の死に方に対する疑問はこの時の彼には一切なかった。
満月がキレイに見え始める頃には宴もたけなわとなり、酒の入った者達の大きな声が響いてきた。
貞義は最後の水を口に含み小刀を鞘から抜き、静かにその時を待った。小半時が経ち屋敷が静かになってくると咳ばらいと共に人の足音が近づいてきた。
「老公か!?」
貞義は縁の下から出て物陰に隠れ直した。
月明かりに照らされた白髪の男は紛れもなく斉昭だった。斉昭が厠に入ったのを見て貞義は縁側に上がり厠の戸の後ろに隠れた。戸が開き斉昭が手水鉢の前に立った瞬間に貞義は『今だ』と思い、
飛び出し斉昭を左手で抱え込み
「お覚悟を!」と小声で言うと右手の小刀で斉昭の左脇腹を突き刺した。
「ぐふっ」と斉昭うめき、縁側の柱を両手でつかみ崩れ落ちた。貞義は突き刺した小刀をえぐるようにしてさらに二回強く突いた。
「戸、戸田を呼べ」
斉昭は倒れこみながら叫んだ。何が起きた?斉昭は腹部に感じる激痛と起こった状況が理解できずに混乱した。
そんな中で前世に学者の友人が言っていた話が蘇る。
『水戸の斉昭が実は彦根藩の脱藩浪士に暗殺されていたなんて話もあるんですよ。おそらく体裁を気にした水戸藩は病死した事にしたんでしょうな・・・』
くそっ、なぜ、今思い出した。自分を刺した男は池の方に走り去って行ってもう見えない。誰かが廊下を走る音が聞こえるがもう声もでない。腹部から流れる血が体の熱を奪っていく。私はもう用済みという事か。
斉昭はゆっくりと目を閉じた。




