番外編『庭師となりて事を成す』2
1860年3月22日
桜田門外の変後にすぐに京都に戻り、何も知らなかった風を装った。そして、皆が事件の事を知った時に周りが驚くほどに怒りをあらわにして見せた。そして大きな声で
『この手で水戸の老公を討ち、殿様の無念を晴らす』と叫び脱藩した。こうする事で自分が脱藩したのが水戸藩への復讐のためだと伝える意図を含ませた。
脱藩は大きな罪とされており、自分のような下級武士なら処分は免れるかもしれないが、これから大きく変わるだろう彦根藩の中で優秀な弟は出世の機会を得るかもしれない。そうなった時に兄が脱藩者となるとその機会を奪うかもしれないと思った。そして3月10日に京都を出発して江戸の藩邸に着き、長野殿に面会を求めた。
長野殿はすんなりと受けてくれて
「おお、貞徹殿のご長男か。今日はいかがされた?」
「主君の仇討ちの覚悟をしております。」
長野殿の眉毛が険しくなる。ここで黙ると真意を誤解されると思い続けて
「彦根藩に迷惑をかけないために脱藩し、武士を捨てて町人になりました。」
「そこまで決心したのであれば私から何か言えるはずもない。その心意気に頭の下がる思いだ。」
「ですが、私には水戸の老公に近づく術がなく、それを考える頭も持ち合わせておりません。
長野殿に何か妙案はないでしょうか。
これはあくまで私が勝手に行う仇討ちです。もし失敗して生き恥をさらしても私が一人でやったと言を曲げはしません。どうか知恵をお貸しください。」
必死に頭を下げた。そこまでしなければ自分では斉昭に近づく事もできない。
長野殿は黙り何かを考えていた。いきなり仇討ちの策を求められても困るだろう事くらい想像はできた。
しばらくして長野殿が
「彦根藩士に青木という者がおります。
その者は色んな人脈を持っているので紹介しましょう。
私が策を考える事もできますが、やはりどこからその策の出所が漏れるかはわかりません。念には念を入れておきましょう。」
「承知致しました。直弼様のご無念は必ず私が晴らしてみせます。」
後日、別の場所で引き合わせて貰う事を決めて彦根藩屋敷を後にした。




