第二百二幕
光で目をつむり開けると周囲の景色は一変していた。舗装した石の道に大きな木が並び、木の向こうは川になっている。現代風の建物も見える。一番近くにある大きな木を見ると『大老の木』と書かれている。僕が木に触れると後ろから
「貞治、覚えているか?
お前を未来に返す方法が思い浮かばずに芹川のほとりでけやきの木に触れて私が弱音を言った時があったな。」
振り返ると出会った頃の直弼様が立っていた。
「そんな事もありましたね。」
「あの木は貞治の時代にはこんなに大きくなっているんだな。見事なものだ。」
「この木があの木なんですか?」
「私達が知っているあの木がこれ程大きくなるまでの年月を貞治がさかのぼってきていたのかと思うと驚きしかないな。」
「僕は・・・・・あれで良かったんでしょうか?」
「私は私の運命をまっとうしたと思っている。
私が貞治に未来の事を聞く勇気があれば、私やその周りの者達の命運も変えられたのかもしれない。
私が合議を重んじずに強権的に幕政を動かせば私が殺される事もなかったのかもしれない。
すべては不確定で定まった事など何もなかったのだ。
だからこそ、人は今を大事に生き、懸命に前に進むための努力をする。その中で間違いも失敗も経験してより強く賢くなるのだと私は思う。
私は自分の失敗するかもしれない未来を怖れてしまった。貞治に負担ばかりをかけ何も返せなかったのではないかと思い悩みもした。
だからあの日、私は貞治を共に連れていかなかったし、抵抗する事なく討たれた。
私もどこかで自分の決断に自身が持てなかったのではないかと思う。正しい人間などいない。
ただ、正しくあろうと足掻きもがく事をやめずにいるべきだったのだ。自分がそれができていないと思えたその日に私は罰を受ける覚悟をしてしまったのだろう。」
「正しさを固定してはいけないのかもしれません。
自分にとっての正義が誰かを傷つけ死に追いやるかもしれない。正しければ何をしても良いと考えてる時点でその人は悪なのかもしれない。
法律が絶対ではないですが、多くの人が認めた正義が法なのであれば、法律は遵守されるべきです。
でも、我々の生きた時代には明確な法律はありませんでした。何が正しかったのかも悪かったのかも、それを決めてたのはいつでも我々だったのでしょう。」
「それなら各々の行動についての良し悪しも自分で決めればいい。貞治も私も誰も間違えてはいないし、これから先の未来でどれだけ酷評されたとしても今の最善を成せば良いではないか。」
「そうですね。決まった事をそつなくこなせても、それが最善かまでは判断できませんから。自分のできる事をしっかりとやっていけば良い。」
「さて、そろそろ時間のようだ。桂は私達の人生は演劇のようなものだと語っていたが、我々は必死にやり抜いた。少しばかりアドリブとやらを入れてやろう。」
直弼様はそう言うと僕の肩をポンッと押してけやきの木から引き離した。僕は理解ができずにいると
「この木に触れたままでいると私達の事も忘れてしまうらしい。私と共に生きた約30年もの記憶がなくなるのは寂しいからな。では貞治、達者でな。」
直弼様は優しく微笑んで強い光の中へと消えていった。




