第百九十九幕
年が変わり、その間に薩長同盟が結ばれたりと世間は倒幕への流れが加速しているらしい。
彦根藩も直弼様の死を偽った罪をきせられ領地を減らされる減封の処分が下されたが、何とか藩の存続はできたようだ。だが、藩の中では幕府の命令でした事なのにと幕府に反感を持つもの達が増えている。そう言った者達の先頭にいるのはどうやら鉄臣らしい。
牢の中に長くいるせいで今が何月なのかもわからない。
寒い季節は過ぎたからもうすぐ春だろうか?
そんな事を考えていると声が聞こえてきた。
「少しだけ話がしたい、逃がしたりはしないから少し時間をくれ。」
「少しだけですよ。」
その会話のあと、僕の目の前に谷鉄臣が立った。
「やぁ、鉄臣。僕の処刑が決まったのかな?」
「桜が咲いたらと聞いてます。半介殿はできるだけ先延ばしにしようとしているように感じます。うやむやにして獄死された事にしたいのかもしれませんが、周囲・・・特に主膳の門徒だった者達が処刑を促しているようです。半介殿の求心力も以前ほどはなくなってきてます。そのため、処刑を急かされてもはねのけられなくなってます。貞治様、私はどうすれば良いでしょうか?
倒幕へと進む世間の風潮に乗り、理不尽な幕府を切り捨て薩長と組むべきだという者達が増えています。
過激にならないように押さえてはいますが時間の問題です。私にはどうしたら良いのかわかりません。」
「鉄臣、僕も彦根藩がどうなるのかは詳しくわかりません。でも、幕府は倒され新たな時代が薩長を中心に訪れます。薩長に乗り換えるのは間違いではないですが、あっさり裏切れば信用を得られずに直ぐに潰されてしまうでしょう。しばらくは幕府側に従い、戦いに負けたなら降伏する形をとるべきです。西洋の武器や戦闘を学んでいる薩長にはおそらく幕府軍は勝てません。負けて降るなら昔からよくある状況ですからね。」
「承知しました。」
「ああ、そうだ。桜が咲くのはあとどれくらいですか?」
「もう3月も終わりですから早くて一週間、遅くても二週間くらいです。」
「そうですか。半介に・・・・色々とすまなかったと伝えて貰えるかな。僕のわがままのせいで辛い思いを長々として貰った。僕が死んだら引退してゆっくりして欲しいとね。」
「本当にそれで良いんですか?」
「ああ、僕はあの時・・直弼様と共に死ぬべきだった。
そうしなかった事を今もずっと後悔してるんだ。」
僕が目を伏せると鉄臣は黙ってその場をあとにしてくれた。もしあの場で僕が戦っていたら直弼様も戦っただろう。少なくとも無抵抗で殺されたりはしなかったはずだ。中学生の頃に忠臣蔵というドラマを見た事がある。汚名を着せられた主君のために家臣達が討ち入りをする話だ。僕には斉昭を倒しに行く事はできなかったし、ドラマを見た当時はなぜそこまでしたのかと理解できなかった。でも今なら『この人のためなら死んでも良い』と思えた人が理不尽に殺された時に感じるのは怒りではなく、自分が生きていて主君が死んでしまった時に何もできなかった後悔や絶望感なのだと思う。
僕には最悪の結果を無理矢理にでも変えることができた。でも、できなかった。この後悔は死んでも消える事はないのだろうと代わり映えのしない牢の天井を仰ぎ見るのだった。