第百九十六幕
1862年、桜田門外の変から二年が経ち、桜田門外の変の後に隠居を申し出て行方が知れなくなった脇貞治に代わり藩の政務を担っていた長野主膳は焦りにかられていた。寺田屋の変で急進派を討ち取った薩摩の島津久光が天皇に気に入られたことにより島津の提出した幕政改革案が通り、安政の大獄で出された処分が解除され、一橋慶喜を将軍としたり、松平慶永を大老と同格の政治総裁職に任命したりと、直弼様の時に行われた政策は否定された。更に島津久光は桜田門外の変のあとに幕府が取った彦根藩への寛大な処置に対する撤回も求めた。
そんな中で7月20日には友でもある島田左近が薩摩藩の田中新兵衛らに討たれ、首が四条河原にさらされ、
『この島田は、大逆賊長野主膳に同腹した大奸賊であるので天誅を加えた』と記されていた。
このままでは大逆賊として狙われる。そう思った主膳は藩主となった直弼様の実子の直憲の元に向かって家を出た。
一方、多賀の山中にある集落に谷鉄臣は来ていた。
一軒のボロボロの家に入るとこの時代では珍しい大きな身体に以前はなかった髭を蓄えた男がいた。
「こんなところに居られたんですね。」
「やぁ、鉄臣。わざわざこんな所までご苦労様。
よく僕がここにいるとわかったね?」
「ここは貞治様が作られた集落だと聞いてましたから。
世間は大きく変わりましたよ。それはご存じですか?」
「いや、私は今は大罪人として木を切っているだけだからね。」
諦めたような物言いを感じた鉄臣は深くは追求せずに
「では斉昭が死んだのもご存じないのですか?」
「それは初耳だね、病気かな?」
「水戸藩はそう主張してましたが、先日彦根にしばらく行方がわかってなかった藩士の青木貞兵衛という者が帰ってきました。彼曰く、桜田門外の変から半年後に小西貞義が見事斉昭を討ち取ったとの事です。」
「そうか、見当たらないと思ったらそんな事を・・・。
それで貞義は?」
「今は蝦夷の方の近江商人に世話になっているそうで元気だそうです。」
「それは何よりだね。彼がどのように斉昭を討ったのか興味深いが僕がそれを彼から聞くことはないだろうな。」
「聞こうと思えばどうとでもなるのでは?」
「僕に先がないからね。」
「ご病気なのですか!?」
「罪人に待ってるのは処刑だよ。」
「半介殿ですか?」
「その言い方なら半介は順調に実権を持てたみたいだね。良かった。」
「こうなる事は想定済みだったということですか?」
「半介に手紙を渡して貰った事があったね。
それには鉄臣に内容を知らせないようにと念を押した覚えがあるよ。」
「あの時の・・・・」
「彦根藩を守るためには直弼様という過去を切り捨てないといけない。長野も僕も直弼様と共に学び、時に教え合いながらここまで来た。
直弼様が亡くなられた今、その責任は側近だった者に押し付けて藩の存続を優先すべきだよ。」
「そう言えば来る途中で長野殿が血相を変えて城に向かって行かれるのを見ましたね。」
「彼は保身を図ろうとするだろうがおそらくは時すでに遅しだね。」
「それでも貞治様が処刑される必要はないのではないですか?半介殿に言えば命は助かるでしょう?」
「僕が望んだ事だから・・・半介には辛い事を頼んだと思ってる。だから、半介を責めないで欲しい。」
「堂々巡りですね。後日また伺います。
その時には思い直して貰いますからね。」
鉄臣は早々に踵を返して僕のボロ屋を出ていった。僕には見せないようにしていたようだが、僕にははっきりと目に涙をためていたのが見えた。