第百九十五幕
桜田門外の変から数日が経った。
あの後、長野と宇津木が直弼様の御首を丁重に持ち帰り、幕府にも事の次第を説明したらしい。
長野が言っていたように幕閣や大名は桜田門での大老暗殺が成った事を隠蔽する方向に動いたようだ。
その知らせを受けて長野が
「今のうちに水戸藩へ責任の追求をいたしましょう。
直弼様が討たれた事が露見するのは時間の問題です。
水戸藩が企てた事だと追求し取り潰しまで持っていければ幕府の威光を示せます。何と言っても御三家であっても幕府を蔑ろにしたら取り潰されると示す事ができるのですから。」
それを聞いた宇津木六之丞が、
「残念ですがそれは無理でしょう。
間部殿が今回の件を聞き、動いてくださったそうですが、水戸藩主は『犯行に参加した者の中に水戸の脱藩者がいたかもしれないが、それはあくまでも脱藩者であり、藩士ではない。私と意見を違えた者が脱藩してしまったのは私の責任かもしれないが、脱藩者にまで責任は持てない。例えば彼らが生きていくための日銭を稼ぐために雇われていたなら、それは彼らとその計画を建てた者達の仕業であり水戸が関知するものではない』と言ったらしい。間部殿が斉昭公の策略ではないかと言ってくれたらしいがそれも『父上は先月から体調を崩し水戸本国で療養中です。お年なので床に伏せったままの日が、続いておられるとの報告を受けております。』だそうです。ここまで言われてしまうと水戸の関与を追求する事はできませんし、こちら側が言いがかりをつけているとされてしまうでしょう。」
ここまで黙っていた僕が
「幕府としては譜代筆頭の井伊家と御三家の水戸徳川家が戦うような事は避けようとするはずです。
おそらくは井伊家の家督を愛麻呂様に継がせて安泰を計り、水戸には何もなしで済ませるでしょう。」
「それでは殿の死は?」
宇津木殿が慌てて聞いた。
「負傷しただけと偽らされるでしょう。幕府からその指示が来ると思います。宇津木殿が対応してください。」
宇津木殿は何かを察してくれたのか黙って頷いた。
後日、宇津木は呼び出され、大目付の久貝因幡守から
『直弼の死を秘して負傷とせよ。家督は愛麻呂に相違なく継がせる事とする』との内示を受けた。
それを受けて彦根藩では正式に『狼藉者に襲撃され負傷した』と報告したが、それに対する返答には
『掃部頭殿が登城の節、水戸殿の家来の者が途中で乱暴に及び負傷の者がいるようであるが心得違いを起こさぬように厳重に家来に伝えられよ。」とのものだった。
彦根藩では気を遣って『狼藉者』と届けたのに幕府は『水戸の家来』と認める返書だった事にはほとんどの藩士が驚いた。幕府が水戸の犯行を認めていたからだ。
こうして直弼様は怪我をしたが、生きている事になった。誰もいない直弼様の部屋を見ながら今後はどうすれば良いのかと僕は途方にくれた。