第百九十四幕
時は少し遡り 彦根藩邸直弼の自室
側用人の宇津木六之丞が自室の整理に入ると始めてみる手紙が机の上にあった。普段なら整えて置いておくが悪い予感がして手紙を開く。六之丞は真っ青になり玄関に向かって走り出した。玄関には静かにたたずむ貞治殿がいる。慌てた様子に不審がる周りの者をよそに貞治殿は落ち着いた様子で「慌ててどうされましたか?」と聞いた。手紙を渡すと「やはり知っておられたか」と小さく呟く。「貞治殿?………」続きを言おうとすると長野主膳が来て、
「宇津木殿、どうされたのですか?」
「殿が水戸からの襲撃を予告されておりました。
供もまともにお連れではないので、急いで救援に参りましょう。」
「なんと!承知しました。」
長野と宇津木両名が走り出そうとしたその時だった。
藩士が一人駆け込んできて
「狼藉者が殿を・・・・」
「しまった。遅かったか」
そして長野と宇津木は裸足で雪の中へと走り出しそれに続いて抜刀した藩士が駆け出していく。
僕はその様子を呆然と眺めていた。そうしたら急に肩をつかまれ揺らされた。
「貞治殿、お気を確かに!我々も向かいましょう。!」
たまたま江戸に来ていた小西貞義・義徹兄弟だった。
この場で行かないのもおかしいと思い腰に下げていた刀を鞘に入れたまま走り出した。
少し遅れて現場に着くと首の無い遺体を前にたたずむ長野と宇津木の姿があった。現実にこんな事が起こるとどう受け止めて良いのかわからない僕はゆっくりとした足どりで直弼様の遺体の傍らに膝をついた。
先に到着していた二人はすでに次にどうすべきかを話し合っていた。長野が
「襲撃の噂を聞き付けた藩士が直弼様の影武者をしていた事にいたしましょう。直弼様は本日ご病気だったと報告して時間を稼ぎましょう。」
「ですが、それでは幕府に嘘を着くことになる。ただではすみませんぞ?」
「江戸城の正門前で大老が暗殺された等、それこそ幕府の恥でございます。大名達もそちらの方が気になるでしょう。」
「だが・・・・・」
宇津木が言いよどんだ所で僕が小さく
「直弼様の御首はどこに?」
それを聞いた二人は焦ったように
「御首はどこじゃ。捜せぇ!」と叫んで駆け出していった。僕は近くに居た藩士に
「直弼様のご遺体を屋敷に引き上げよう。」
そう短く指示して屋敷へと戻った。
「なぁ義徹、水戸の襲撃って事は指示したのは徳川斉昭だよな?」
「兄上、軽挙は慎まれた方が良いですよ。」
「直弼様は親父を親友だと言ってくれた。葬式で涙も流してくれた。何でそんな人がこんな目に遇わないといけない?」
「それを我らのような下級武士が騒いでもなにもなりません。成り上がり、このような理不尽な行為を無くす制度を作らなければいけないんです。」
「義徹は賢いからな。俺はお前のようには考えられないよ。」
貞義の力のこもった言葉をいさめるほど義徹も怒りを抑える事はできなかった。