第百九十三幕
駕籠に揺られながら直弼は考えていた。
若き日に剣の稽古をしていたら突然に現れた青年。
見上げるほどに背の高い男は私と同い年と聞いて、その装いも含めて驚いたのを覚えている。
未来から来たと言った青年を爺が切り捨てようとしたのが昨日の事のようだ。あれから27年くらいが経った。
まさか藩主になるとは、まさか大老になるとは、まさか幕政がここまで腐敗していたとは。
合議の元に政治を行うのに責任は大老や老中に任せきりで適当な政策を行う大名達。自分に都合の良い派閥に媚びへつらい甘い汁をすする事しか考えていない役人達。
幼いうちから将軍になり政治の事がわからないお飾りの上様。これについては私にも責任はあるから強くは言えないが貞治から教えて貰った歴史の中には将軍や公家をお飾りにしていたのは今に始まったことではないらしい。権力を握るために用いられてきた常用手段らしい。
この歳になるまで貞治を未来に返す方法も模索しては己が無知という壁にぶつかった。貞治の時代でもタイムスリップとやらの原理は解明できていないのだからと諭されたが、だからと言って諦められなかった。
そんなことを考えていると外から
「差し上げまする」と声が聞こえた。供頭の日下部と沢村軍六が「何者であるか?」と聞いている。雄叫びのような者が聞こえ外を見ると白鉢巻の武士が日下部に切りかかり柄袋のせいで応戦できなかった日下部が切り伏せられた。それが合図だったのか抜刀した者達が駕籠に向かって走ってくる。
「駕籠かき達よ、駕籠を下ろして逃げなさい。
あなた達が巻き込まれる必要はない。」
直弼様は冷静に指示すると駕籠かき達は「しかし…」と言ったが強めに「早くせよ!」と叫んだ。
駕籠はドスンと落とされ駕籠かき達の走り去る音が聞こえた。
「来たか、バカ者どもが、これも天命だ。」
貞治の言うようにもっと屈強な藩士を共につけ万全に備える事もできた。だが、そうしなかったのはもう疲れてしまったからなのかもしれない。理解者も少なく何か幕政に不備があれば責められるのはいつも私だった。
ここが潮時なのだろう。そんな事を考え、外に出て戦う事もしなかった。そうするうちに外から拳銃の発砲音が響き、同時くらいに太ももに激痛が走り「うむーっ」と唸った。発砲音が更なる合図だったのか襲撃者が増えたようだ。河西が応戦しているようでまだこちらにまで襲撃者は来ないがそれも時間の問題だろう。
私のわがままで多くの藩士を死なせてしまう事に悔いはある。そんな事を考えていると駕籠の外から何本もの刀が突き立てられ身体を貫く。
「無念っ」直弼はそう呟く。
襲撃された事がではない。殺された事がではない。
ただ、藩士に迷惑をかけた事、これから対処に追われる者達の事、まだ幼い息子に大変な状況を残してしまう事、そして何より友に後悔を抱かせてしまう事だ。
未来に返す約束も果たせぬままに私が死ぬ事だ。
貞治や直憲がどうか幸せであって欲しい。そう願いながら直弼の意識は遠ざかっていった。