第百九十二幕
安政7年(1860年)3月3日の朝、春には珍しく雪が降り続き、江戸の町は一面の雪化粧となった。
そんな朝に直弼は出仕の準備をしていた。そこに門番を任せていた藩士が駆け込む。一通の封書を開くと
『水戸脱藩の者が、大老の襲撃を決行いたす。本日の登城はお見あわせを』と書かれていた。貞治の心配していたのはこれか、と納得し直弼は黙って手紙を折りたたむと、机の上に置いて部屋を出た。
ついにその日が来てしまった。
3月3日、桜田門外の変で直弼様が殺されてしまう日。水戸の襲撃があるかもしれないとの噂が出回り、屋敷の者達も騒然としているなか、笑顔ですれ違う人達に挨拶しながら近寄ってくる壮年の男性がいる。きれいに整えられたまげと高そうな着物。
身分の高そうな男性は笑顔で僕に向かって、
「やぁ、貞治、おはよう。」
「おはようございます。」
男性は暖かい笑顔で
「皆が騒がしいな。何かあったのか?」
「水戸脱藩の浪士が、直弼様の命を狙っているとの知らせがありました。本日のご登城はお止めになられた方が良いのではないかと。」
「それはできない。 私にやらねばならない仕事が山積みだからな。」
直弼様の目には強い覚悟を感じる。僕の口は
「それでは警護の人数を増やして…………………」
「良い。」
直弼様は僕の言葉を遮り、笑顔で
「駕籠を担ぐ者だけで良い。
できるだけ足の速い者、逃げるのが上手い者を用意せよ。」
「直弼様、もしや…………」
心の底から心配するような声が出た。直弼様は暖かい笑顔を浮かべたまま、
「貞治、達者でな。」
直弼様はそう言って僕から離れていった。
僕にはこの光景に見覚えがある。これは井上先生の歴史の授業中に居眠りした時に見た夢だ。あの時はあの人が誰なのかも知れず『お館様』と呼んでいたけど、今ならはっきりとわかる。なぜ、あの時にこの光景を見ていたのかも分からないけど、そんなことを言っている場合ではない。直弼様は供頭の日下部三郎右衛門らをつき従え供回りの藩士二十六人に足軽や草履取、人足等の総勢六十人あまりの井伊家の格式通りの行列で藩邸を出ていかれた。藩士は何かあれば直弼様を守ろうとするがそれ以外は雇われているだけのため逃げ出す者も多いだろう。天気も悪く雪が振っているから藩士は笠を被っていて視界も悪く、刀には雪を防ぐための柄袋をつけていた。襲撃が起きたときにすぐに抜刀できない。準備に手間取ったのか彦根藩随一の剣士であり二刀流の師範もしている河西忠左衛門が走った来たので僕は呼び止めて、
「河西殿、水戸の襲撃があるかもしれません。柄袋からすぐに抜刀できるようにご準備下さい。直弼様は…………」
僕はその続きを言う事ができなかった。僕の様子を読み取ったのか河西殿は柄袋の上部分を引き裂き直ぐに抜刀できる状態にして強く頷き、
「拙者の命に代えましても」
と走り去っていった。僕にはこれ以上の何かをする事ができなかった。藩邸の門に立ち、もう生きて戻ってこないかもしれない主君の帰りを待つしかなかった。