第百九十一幕
「失礼いたします。慶喜様からお手紙が来ておりますが・・・・」
「捨てておけ。どうせ、水戸藩の者が捕まっている件だ。大騒ぎするほどの事でもないだろう。」
「しかし・・・、いえ、承知いたしました。」
斉昭からすれば貞治のささやかな抵抗に慌てる必要もない。水戸の襲撃予定の部下達はその時が来るまで横浜に居させている。それに腕が良ければ別に水戸の者でなくても良い。後々、水戸の者だったと偽装する事も容易だ。慶喜には大老襲撃の事は伝えていないから、年始から急に水戸藩の者が捕まり出したら色々と勘ぐるのも仕方ない。彼は私の教育など無くても十分に秀才で人を引き付ける力がある。私の役割は桜田門外の変を起こす所までだ。本当の意味での隠居も遠くない。
この件がうまくいったなら、水戸にある屋敷で盛大に宴でして正式に引退を発表して残りの人生を楽しもう。
徳川斉昭が幕末のあれこれに登場しないという事は表からは退いたのだろう。一生懸命何かをしたり、誰かを陥れるための策を考えたりすること無く穏やかに生きたいものだ。長かった役目の終わりを想い斉昭は窓から見える狭い空を眺めた。
横浜市街
「翔陽殿、ご無事で何よりです。」
本吉田松陰を歓迎する男は、数少ない松陰が生きている事を知る昔からの友人だ。
「ご心配をおかけしました。脇貞治殿のおかげで今は翔陽坊主として生きております。皆には心労をかけて申し訳なかった。今一度だけ私のわがままに付き合ってくれないだろうか?」
「ええ、何度でもお付き合いしますよ。それで我々は何を?」
「幕府の重要人物の暗殺が計画されている。その犯人を江戸に入れさせない。おそらく敵の大将なら計画の日までは別の場所に滞在させるだろう。我々は実行犯を捕まえて犯行を起こさせない。それか一番大事な任務だ。」
「承知しました、その実行犯の特徴は?」
「水戸藩士だ。それ以外も腕の良さそうな浪人とかも気を付けてくれ。」
「承知しました。」
貞治殿は直弼殿の意見に従うかもしれないが私にも思うところはある。
こうして様々な思惑が入り乱れるなかで3月3日の桃の節句を迎えるのであった。