第百九十幕
僕は直弼様を目の前に膝を突き合わせるくらいの距離で座っている。江戸に戻ってからのあれこれにお叱りを受けたのである。水戸の関係者というだけで捕まえたりしていたのが行きすぎていたようだ。元吉田松陰から聞いた事も含めて水戸藩の特に斉昭に賛同している者と一部の薩摩藩士が関わっていたらしいとの情報から取り締まりを厳しくしたため、直弼様の不審をかったようだ。一通りのお説教が終わり、正座されていた直弼様があぐらに座り直したところで、
「貞治、お前も崩せ。」
僕も正座を崩した。直弼様が
「水戸の者が私に対して何か良からぬ企てをしているのはなんとなくわかった。お前がそれを阻止するために色々としているのも分かっている。だが、このやり方では新たな敵を作るだけだという事もわかっているな?」
僕はゆっくりと首を縦に振った。
「申し訳ありません。ですが、これはお命に関係する事でございます。僕はあなたを救うためなら歴史を変えて見せます。」
「貞治・・・、川の治水とは難しいものだな。流れを変えようとうねりが新たな支流を生み、更なる被害を出すことがある。流れを変えた所で結局は川は海に行く事もわかっているな?今回、失敗したら次はいつだ?私だけが死ぬはずが家臣を巻き込んだ大事にならないか?幕府が割れて戦にならないと言いきれるのか?」
僕はゆっくりと首を横に振った。
「分かりません。何かあるかも知れませんし僕の知らない事件が起こるかもしれません。そうなれば僕にできる事は何もありません。」
「私が死ぬ運命ならそれを受け入れよう。だが、死ななくて良い命が失われる必要はない。お前や宇津木、他の家臣たちも己の運命に従い生きよ。
お前は私達よりも自分の運命を生きれていないのだからな。」
直弼様は優しい笑顔を僕に向けながら言った。
いきなりタイムスリップして江戸時代に来た。現代でやりたかった事、なりたかった職業、共に過ごしたかった人々、考えないようにしてきたすべての事が溢れ出すのを感じた。父親くらいの年になった僕は自分のしたかった事をまっとうできたのだろうか?そう考えると涙が溢れた。この時代も悪くない。直弼様と歩んだ人生は間違いじゃない。だからこそ、この人がいない人生が思い浮かばなくて守る事に固執してきたのかもしれない。
僕があれこれと考え涙している間も直弼様は何も言わず優しい笑顔を向けてくれていた。普段から見ているはずなのにずっと昔に見たような既視感を感じたのはきっと気のせいだろう。僕は直弼様の運命を受け入れる覚悟をこの時始めてしたのだった。