第百八十六幕
「それで、何を隠されているんですか?」
谷鉄臣が私室にやってきて座った瞬間に聞いてきた。
「アハハ、この前の手紙の事かな?
そんなたいしたものではないよ。」
「江戸に戻られた後、何かが起こるのではないですか?
それが彦根藩に重要な事なのであれば、藩をあげて対処すべきだと思います。」
鉄臣は真剣な顔で僕をじっと見ている。
「はぁ-、鉄臣にはかなわないな。
彦根藩の一大事は起こるよ。でも、それを防ぐすべがあまりに少ない。この問題の根深さはとんでもないものだからね。」
「幕府がらみという事ですか?」
「それもなきにしもあらずって感じかな。
将軍という空っぽの頭に大老や老中という顔を張り付けて不都合があると顔を変えれば問題ないと思ってる大名、大老や老中の苦肉の策も理解できず前例がなければ認めようともしない旗本達、暴力でしか自分達の主張を表現できない志士達。それらが複雑に絡み合い問題を起こそうとしている。一つでも大変なのに絡み合ってどうしようもないかもしれない。」
「それでなにもしないのですか?」
「いや、できることはしているよ。半介にお願いしたことも万が一のための事だしね。」
「この間、半介殿が長野を直弼様の所に案内したのもその一環ですか?」
「あれは半介が自分で考えてした事だと思うよ。
その意図まではわからないけどね。」
「この際だから言いますが、貞治様の身に危険が及ぶようなら、江戸へは行かずに彦根におられてはいかがでしょうか?その方が何かあった時に彦根藩を守れるのではないですか?」
「鉄臣、僕が守りたいのは彦根藩じゃない。
直弼様なんだよ。僕は藩のために生きる藩士じゃないから、藩がどうなるとしてもそこまでこだわらない。
でも、直弼様は命の恩人だし唯一無二の友だからこそ、僕はあの人に従い、あの人が守ろうとするものを守りたいんだ。鉄臣や半介には酷な話かもしれないけどね。」
「承知しました。なら、私は私で貞治様のためにできることをします。」
鉄臣はそう言うと止める隙もなく出ていってしまった。
僕の事を心から心配してくれているからこそなのだろうが、どうしようもない流れというのは存在する。
流れをできるだけ変えたいと思ってもならない可能性が高いからこそ、何かを選べば何かを諦めないといけない。直弼様を守るために、他の誰かが犠牲になるとしても僕は直弼様を優先していかないといけない気がする。
色々と思い悩む事が多いが、その時は迫っている。
一層、気を引き締めていこうと思った。