第百八十五幕
「父上!藩士が数人脱藩致しました。
これもあなたの差し金ですか?」
斉昭は座したまま、いきなり私室に入ってきた息子を見た。慶篤は私が歴史通りに動く度にその責を追い続けた男だ。幼年の頃から藩主になりまだ三十半ばなのに疲労感が漂っている。彼は私が現代の人間であることを知らない。息子の中で教えたのは慶喜だけだったため、彼からしたら好き勝手する厄介な父親程度にしか見ていないのだろう。何度か藩士の暗躍を指示した事があるから今回の脱藩者も私の仕業だと思ったのだろう。
下地を作ったのは私だが直接何かを指令したわけではないので私のせいにされても困る。
「例の勅書に関しての取り扱いに不満を漏らしておった者がいたのも知っておろう。今時、いやこれからは自らの意見に合わない藩から独立、脱藩する者が増えていくのが主流になろう。実力で成り上がる者、古き因習にすがり権力に固執する者と人の有り様も多岐になろう。
慶篤、お主にとって私は面倒事を運んでくるだけの迷惑親父かも知れんが時代と共に変わるものに適応できる男となれ。それは何でも受け入れてしまえと言ってるわけではなく、否定するだけでなくその良し悪しについての考察も忘れないでいるべきだという事だ。
まあ、年よりの遺言だと思って頭の片隅にいれておけ。
ついでに言うが私は今回何もしていない。」
慶篤は何かを考えてから
「承知致しました。まだまだ死なれては困りますので、長生きして私の代わりに藩主の仕事をしていただきたいですね。特に面倒事は始末してからご逝去頂きたく思いますので、そのあたりもよろしくお願いしますね。」
慶篤は言い残して私の私室を後にした。
私がどうやって死ぬのか?いつ死ぬのか?をなぜか覚えていない。どうやってこの体に精神が憑依したのかも覚えていないから死に方も都合良く隠されているのかもしれない。私の役目は井伊直弼を桜田門外の変で亡き者にし歴史を歴史通りにまわす事だ。それも二、三ヵ月の話で終わる。本当に隠居してゆっくりできる日を夢見始めたのはいつ頃だったかとふと目を閉じた。