第百七十八幕
松陰の処刑日から数日後、小塚原刑場
深夜の静まりかえった中で棺桶を調べ回っている人影があった。その様子を少し離れた場所に立っていた男は何かを見つけた仲間に呼ばれて駆け寄る。
「あったか?」
「こちらが松陰さんの棺桶みたいです。」
「みたいとは?」
「置かれた場所はここになってたんですが、中の人物はまったくの別人でした。」
「ふむ、入れ間違えたか?それとも僕らが掴んだ情報が間違っていたのか?それとも………」
男が考え込むと仲間の一人が
「桂さん、どうしますか?」
「そうだね、とりあえずこの棺桶を松陰さんの棺桶として丁重に埋葬して貰おう。」
「良いんですか?」
「僕の勘でしかないけど、もしかしたら狂ってるのは僕らや松陰さんではなく、まったくの別人なのかもしれないね。」
「それはどういうことですか?」
「とりあえず、引き上げるよ。墓荒らしに間違えられたらたまったもんじゃないからね。」
翌日、彦根藩屋敷貞治の居室
僕が仕事を終えて部屋に戻ると、僕の机の前に座っている男がいた。僕は一応携帯している刀に手を伸ばした。
それを感じ取ったのか男は振り返り
「まぁまぁ、落ち着いて下さい。貴方を殺しに来たわけではないんですよ。少し聞きたい事があった、それだけです。」
「どうやってここに忍び込んだ?」
相手の男は腰に刀を差しているがあの体勢から刀を抜くのは難しそうだ。男の表情からも一切殺意を感じない、柔和な笑顔を僕に向けている。
「まぁ、だてに『逃げの小五郎』とは呼ばれてないからね。逃げれるなら潜入もできると考えてくれたら良いんじゃないかな?」
「逃げの………、桂小五郎か?」
「話が早くて助かるよ。『誰ですか?』って聞かれたらその空気どうするんだってなるからね。」
「吉田松陰を処刑した事の報復か?」
「松陰さんは死んでないんじゃないかな?
棺桶を確認しに行ったらまったく知らない男が入っててビックリしたよ。一応回向院の方には松陰さんの供養をお願いしといたけどね。」
「なぜ松陰が死んでないと思う?」
「彼は未来を知ってるんだよ?なら、むざむざ殺されるわけない。そうしたら彼が自力で逃げたか、彼を死なせたくない者が助けたと考えられる。でも、処刑は大老の彦根藩が全てを行ったと聞いて、松陰くんが話してた面白い男を思い出した。それが貴方だった。
貴方なら松陰くんを逃がしてくれるんじゃないかとね。」
「松陰が未来を知っていたとは?」
「そんなこと確認しなくてもわかってるんじゃないのかい、金城貞治君?」
「なぜその名前を?」
「まぁ、自分を神様かなんかと勘違いしている水戸の斉昭よりかは貴方になら好感がもてるってだけですよ。
少し話しすぎましたね。お暇しますよ。」
「このまま帰すとでも?」
「あはは、僕を誰だと思ってるんですか?
『逃げの小五郎』ですよ。」
そういうと桂は服の袖から何かを取り出した。強烈な光で僕が目をくらませている間に桂は跡形もなく消えていた。
桂は走りながら笑いが止まらなかった。
なるほど、あれが大罪人か。僕からすれば斉昭も松陰もその他の転移・転生者も変わらない。
どれも変わらず僕の観察対象でしかない。僕は歴史を変える事もなく、変えようとする動きを止めようとするわけでもない。僕はただの傍観者で他の者より多くを知っているだけだからだ。誰かがねじ曲げた歴史の数は増え、本来の歴史がなんだったのかすらわからない。
ただ、そのすべてを見てきた僕には、彼らの行動が少し違うだけで面白い。何が本当かもわからないのに『本来の歴史』にこだわる愚か者達も自分の行動で未来が変わるとも知らずに足掻く者達も全て僕には舞台の上で熱演する俳優にしかみえないのだから。