第百七十五幕
「それで、鵜飼幸吉の遺体はどうなった?」
「それが何者かの手によって運び出され、獄門扱いをされておりました。すぐに私の部下に回収させましたが、多くの者の目に入ってしまいました。」
間部殿は失敗したといわんばかりに言った。僕が
「おそらく、鵜飼殿を殺害した者と遺体を運び出した者は同一人物でしょう。最初から獄門にされたと印象づけるために行われたものだと思います。
牢屋敷に勤めていた者の中に水戸藩と関係のある者が居ないか調べてみてください。」
「なぜ水戸藩なのだ?」
「おそらく、処刑を彦根藩が担当すると聞いて自分の思い描いた状況どおりにならないと思ったあるお方が先手を打たれたのでしょう。」
「斉昭殿だな?」
直弼様が短く聞いた。僕も短く「おそらく」とだけ答えた。間部殿が
「なるほど、井伊殿に対する水戸藩士の反感をあおるためですね。藩士を暴発させようとしているのですか?」
「鵜飼殿を慕う方々が脱藩して凶行に及んだという筋書きは考えられます。」
「なるほど、とにかく牢屋敷の警護も私の部下と彦根藩の…いや、貞治殿が信頼できる者で行った方がよろしいでしょうね。手配しておきます。」
「間部殿、吉田松陰が捕まったというのは本当ですか?」
「何か思う所がおありか?」
「あの者は頭の良い男です。そう簡単に捕まるとも思えません。」
「どこで捕まえたかなどの詳細な話しもなく、捕まって牢屋敷に連れてこられました。」
「そうですか………、僕が面会する事は可能ですか?」
「秘密裏になら大丈夫でしょう。
それに貞治殿には身代わり処刑の話をして貰わねばならないので、一度ひっそりと牢屋敷に来て貰わねばと思っておりましたから問題はありません。」
その後、処刑を行った事にする者と獄死にする者を三人で話し合った。有名な学者や広く知られている者などは体格や何かしらの声から本人ではないとばれる可能性があるため牢屋敷で病死した事にした方が良いとの助言を間部殿から貰ったからだ。
小浜藩士の儒学者、梅田雲浜は小笠原忠嘉の屋敷に預けられているためこちらは家臣団での揉め事があり若い藩主が困っているので秘密裏に支援すると申し出れば抱き込める可能性が高く協力を取り付ける事はできるだろう。薩摩藩士の日下部伊三治に関しては、斉昭の腹心であるため事の露呈を防ぐために病死した事にしてひとまず彦根藩の牢に閉じ込めて置くことになった。京都の公家の西園寺家の大夫であり尊皇思想を持った志士と接触していたからと捕まった藤井尚弼は本当に脚気(ビタミン欠乏症の1つ)で死にかけているとの事だったので彦根藩屋敷で治療することになった。京都の清水寺の住職の月照という僧の兄弟僧の近藤正慎は、月照が攘夷派志士と関係が深くその連座で捕まった人物だ。月照は西郷隆盛と共に逃亡した際に死亡したらしく捕まっていない。藤井と共に月照の弟の信海も捕まっていたためこちらも獄死した事にする事になった。
こうしてある程度知られている人物の処遇を決めて僕の策の準備が少しずつ進められた。