第百七十四幕
彦根藩上屋敷 直弼の私室
「それで、今回の内容や目的については聞いていたが手段までは聞けていなかったな。どのようにするつもりだ?」
「彦根藩の信頼できる者達を使い何年も前から準備をして参りました。名の知れ渡った者だけでなく、些末な罪により斬罪になる者もいたとされていたので、身代わりを準備していたわけです。
彦根藩で死罪を言い渡された者や最近の横暴を働いていた者達も合わせれば、現状に何人か加わっても補える程の人数を揃えてございます。」
「ふむ、それで逃がした者達はどうする?幕政に反発していた者達なのだからそのまま元の場所に戻すわけにもいかぬだろう?」
「多賀の山中に大社の修復を行うために木を伐る者達の集落を作っております。そこに一時期身を隠して貰いほとぼりが冷めた辺りで名を変えてもらって解放しようかと思います。」
「ふむ、それで何が変わるとおっしゃるのかな?」
僕と直弼様は刀に手を伸ばして身構えた。重要な話をする際は直弼様の私室の周りには誰もいないようにしていたがふすまの向こうから声をかけられたためにとっさに取った行動だった。ゆっくりとふすまが開き、そこには老中の間部詮勝が立っていた。
「間部殿、なぜこちらに?」
「井伊殿に至急の知らせがあり、参ったが誰もいなかったのでこちらまで来させて頂きました。
まさかこのような策を巡らせているとは思いませんでしたが。」
「他の老中に報告されますか?」
「いえ、その必要はないでしょう。
あの者達もしょせんは己の欲と幕府の過去の栄光にすがる者達でしかない。その程度の者達ではあなた方の真意にも気づかず批判するだけでしょう。」
間部は静かに言った。そして続けて
「一度、幕府を見限った者達がまた幕府のために働くなどありはしません。殺さないという選択は素晴らしいですが、救ったからと言って反幕府の姿勢は変わりませんよ?」
「幕府はもう10年もしないうちになくなります。」
僕は真剣な顔でまっすぐに間部殿の目を見て言った。間部殿は眉間にシワを寄せたが、何かに思い当たったように
「水戸の斉昭殿が昔、自分は未来を知っていると話していた事がある。冗談かと思っていたが彼は本当に未来を言い当てていた。そのような人間が一人いるなら他にいてもおかしくはない。」
「信じていただけるのですか?」
「そなたを知らなければ、信じなかったがもう長い付き合いだからな。信じるには足りよう。」
「感謝します。彼らを助けたいと思うのは僕の自己満足です。なので、彼らに寝首をかかれようが恨みもしないでしょう。」
「なるほど、そこまでの覚悟がおありなら私も手を貸しましょう。」
「ありがとうございます。」
僕がお礼をいうと、それまで様子を見ていた直弼様が
「それで、間部殿のご用件はなんだったのだ?」
「ああ、水戸藩京都留守居役の鵜飼幸吉が牢の中で首を切られて見つかりました。犯人は不明です。
斬罪になる予定ではありましたが、何者かによって先に殺害されたということになります。この者は水戸藩の出身で重役も勤めた者。斉昭殿や藩主、斉昭殿の血を継ぐ慶喜殿にも処罰している以上、水戸藩の反発は強くなるでしょう。あとは、民に日本の改革を訴えては逃げていた吉田松陰が捕まったそうです。
この二つをお知らせに参りました。」
「なるほど。」
直弼様は鵜飼の方の話しで考え込んだのだろうが、僕は吉田松陰が捕まった話で驚いた。