第百六十九幕
「松陰殿、こたびの不時登城にはどのような意味があったとお考えですか?」
「うん?何か納得の行かないところでもありましたか?」
江戸からは離れて動向を見守るために潜伏してみたが色々な話が持ち込まれるので暇はしていなかった。
「先生、水戸・尾張が強硬な手段をとるのは彼ら自身の余裕がなくなって来たのではととれなくもないと愚考いたします。」
「やぁ、博文。君の言う通り、一橋派としては南紀に寄った波を引き戻さなければとも思っているだろうし慶永殿が隠居となった事による影響はでるだろうね。」
「では、先生は今回の水戸の意図はどこにあると思いますか?」
「有朋、結論を急いではいけないよ。水戸がというよりもおそらくは斉昭によって巻き込まれた不憫な方々といえるだろうからね。」
「なら、徳川御三家のうち二家で威勢良く出ていって一蹴された事が斉昭の狙いって事にならないですか?」
「鋭いね晋作。井伊大老は御三家すら雑に扱うほどに調子に乗ってると多くの幕臣や大名に思わせる事ができただろうね。神君・家康公の直系で江戸幕府設立以来の親藩であり将軍を産み出してきたお家である水戸・尾張・紀伊の御三家を軽く見ているように見えたらそれだけで反発する者も出てくるだろう。」
「そうなると井伊殿が権力を暴走させているように見えてもおかしくはないわけですね?」
伊藤博文が言う。彼は維新後に日本の政治を牽引し初代内閣総理大臣になる人物である。
「博文の言う通り、井伊大老がこれから行うとされている粛清がすべて彼の意図で行われたように見せるのにこれほどの布石はないだろうね。」
私の言ったことを真剣に考える三人の門下生はたまたま潜伏先を訪れただけだが、それぞれに歴史に名を残す人物達だ。伊藤博文、山縣有朋、高杉晋作。この三人は明治維新の立役者であり、維新後の日本を作った者達だ。私が吉田松陰に転生したから歴史に名を残したわけではなく、元から名を残すほどに優秀な者達だった。他にも藩士として活躍する者も政治家として活躍する者もたくさん門下生にいた。
ここでフッと思ったのは鶏が先か卵が先かという話だ。
私が現代で学んでいた事が既に私が関わっていた歴史なら彼らを偉人に育てたのも私で、本物の吉田松陰などは存在しなかったのかもしれない。
そうなると私は未来を変えられなかった事になる?
そうすると私を待つ未来も変えられない?
「先生、大丈夫ですか?」
「ああ、晋作大丈夫だよ。」
私は死の未来を思い描き、それが事実として近づいてくる事に恐怖を感じた。