第百五十六幕
「斉昭様、井伊が大老職を仰せつかったようです。
このままでは将軍継嗣は南紀派が優勢になってしまいます。」
斉昭に必死に訴えかけて来た人物を見て、斉昭は内心で『こいつは誰だったか?』と思っていた。毎日のように代わる代わる一橋派を名乗る者達が現れ、自分はどんな部分が慶喜が将軍に向いていると思っているのかを一方的に話して帰っていく。
私としては息子が将軍になる未来を疑う事もないし、今回は無理だから無茶はするなと慶喜にも伝えている。
水戸藩の者が私のためを思って裏でこそこそと動いているのも知っていてほったらかしにしていた。
慶喜には体裁を保つために真面目に将軍になるための動きをしろとは言っていたが、実親の私が何もしない事に違和感も感じずに動き回る家臣が居ることに関しては少し残念な気もするが、朝廷への工作に関しては上手く行ったようで、天皇は一橋派に傾いている。まぁ、好きに動かせとけばいい。
私が黙っていた事に怯えた男が
「あ、あのご機嫌を損ねましたでしょうか?」
「いや、申し訳ない。あなたの進言を受けてどうすべきかと悩んでしまいましてね。慶喜とも相談の上で何か対処しますのでお気になさらないで下さい。これからも慶喜の事を支えていただけるとありがたいです。」
「はっ、承知致しました。」
男は深々と頭を下げてから部屋を出ていった。
そもそもの話で直弼の大老就任はわかっていた事だし、今さらあせるほどの事もない。それよりも就任に向けて一度断り周囲からの懇願を受けて就任したと言う過程の方が気になる。
将軍だけでなく堀田正睦からの懇願も辞退して、渋々受けたという感じからは策略のにおいがする。
これで直弼が堀田正睦と違う政策を行おうとしても堀田は文句が言えない状況になったわけだ。
頼み込んで就任して貰った手前、すぐに批判したら就任を後押しした自分にも責が来る可能性がある。
これが直弼本人の策略なのか貞治の入れ知恵なのかで私の今後の動向を考えねばいけない。
とりあえずは情報の収集と周りの反応の確認に勤しもうと思った。