第百五十五幕
安政5年4月22日、筑前守の薬師寺元真が直弼様の元を訪れた。人払いをされた上での密談を希望してきた。直弼様は僕だけを同席させての密談を希望し薬師寺殿も渋々ながら了承した。そして人払いが完了したのを確認した後で薬師寺殿が
「水戸斉昭殿が一橋慶喜殿を将軍に擁立する陰謀を企ててます。
どうやら京都の朝廷は一橋派になびき、年長である慶喜を将軍に推そうとしているようです。二日前に江戸に戻られた堀田殿も朝幕間の関係の悪化で条約調印問題に悪影響があるといけないので慶喜就任にも傾いているらしいです。」
「それは大変ですね。お知らせ頂きありがとうございます。早速、松平忠固殿にお手紙を送り相談いたします。」
「そうですね、それがよろしいかと。私は他の南紀派の方にもお知らせに行きますのでこれで失礼いたします。」
薬師寺殿はそう言うと慌ただしく帰っていった。
直弼様は何かを考えてから
「貞治、これは私にとって良い知らせか?それとも悪い知らせか?」
「出世されるでしょうから良い知らせと捉えてよろしいかと。
出世が嬉しくなければ悪い知らせですね。」
「なるほど、私はどう行動すべきだと思う?」
「家定様と堀田殿には一度お断りをすべきでしょうね。
お二方から懇願されて役職に就く方が敵対派閥からの批判を回避できるでしょう。」
「難しい要求だな。まぁ、そういう事なら善処しよう。」
翌23日、直弼様が登城すると早速将軍の家定から呼び出され、大老職への就任を仰せつかった。直弼様は引き受ける事を明言せずに一度御用部屋に戻り堀田正睦に
「不肖の身を持って大任を仰せつかったが重大な時期がらであるから役儀はごめん被りたいと思っています。」
「いやいや、直弼殿なら大丈夫ですよ。家定様のお眼鏡にかなって選ばれたのだから引き受けるべきです。」
「いや、しかし私以外にも大老職を受けるべき方はいると思いますが?」
「私も江戸に戻ってすぐに多くの大名から推薦をされていた松平慶永殿を大老にと家定様に進言したが言下に一蹴されてしまいました。こうなると直弼殿以外にふさわしい方はおられません。」
「そうでしたか。ですが勤められる自信もありませんからもう一度家定様にお話をさせていただきます。」
直弼は結局一度辞退したが、家定からの申し出を受けて大老就任を決めた。
こうして大老井伊直弼は誕生した。