第百四十九幕
安政4年12月29日、将軍家定の命により集まった諸大名に対して老中首座堀田正睦から海外情勢を考慮してアメリカとの条約調印は致し方ないものであるとの説明が行われた。
翌日30日には江戸城本丸表御殿の白書院においても同様に帝鑑間に出仕している大名達にも説明が行われた。
ほとんどの大名は条約調印に対して理解を示したが尾州藩主・徳川慶恕・阿州藩主蜂須賀斉裕、池田慶徳、伊達慶邦等は和親条約締結時に朝廷からの許可がなかった事から天皇がお怒りになったというのもあり、今回は天皇に伺いをしっかりと行い許可を得た方が良いと主張した。
実際のところ安政4年12月11日からアメリカ駐在大使ハリスとの交渉は行われており、ハリスからの圧力に負けて調印する流れはできていた。安政5年に入るとその動きは更に強まり、幕府側はハリスに条約調印に向けて天皇の意見を聞き、勅許を仰ぐ事になった事情を説明し、1月5日にハリスに対して堀田正睦の書簡で60日以内の条約調印を約束した。
そして3日後の1月8日、幕府は堀田正睦に直々に京都に出向き朝廷から勅許を貰ってくるように指示を出した。
堀田正睦が京都に着いたのは2月5日で本能寺を宿舎として使い9日の日に大量の献上品と共に天皇への拝謁を行った。
少し時は遡り……江戸彦根藩屋敷
「堀田殿が条約調印に向けて動かれているようだ。
情勢的にも反対する者は少なそうだな。
貞治は上手く行くと思うか?」
直弼様の問いに僕は首を横にふる。
「いえ、幕府の海外情勢を知っている者ですら未だに攘夷を唱える者がいるくらいなので朝廷……特に天皇はそれを許すとは思えません。」
「なるほど、それではどうすれば良い?」
「現在、長野殿が京都におられるようなので先に朝廷の重臣の方々に海外情勢を伝えていただくのが最良かと思います。
いくら天皇でも重臣からの進言なら認めて頂けるものかと思いますが、幕府からの使者の意見ではおそらく勅許は頂けないかと思います。」
「確かにそうだな………。
だが長野殿で大丈夫だろうか?」
「問題ないと思います。おそらく長野殿はこのような状況になると見て京都に長期に滞在されておられたのでしょう。
もうすでに手を回されているかもしれませんが正式に直弼様の命で動かせた方が長野殿も動きやすくなるのではないかと思います。」
「わかった。書状でその旨伝えよう。」
直弼様はそういうとすぐに長野に手紙を書いた。
堀田殿が天皇に会うまでに工作がうまく行けば良いがそう上手く行かないだろうと思う部分も僕の中にはあった。