第百四十四幕
僕は暗躍を始めた。と言っても悪い事を始めたわけではない。過去に悪政を強いた藩主が粛清された時にその側近も藩主を諌められなかったとして処刑された事があるらしい。つまり、側近からの悪知恵で唆された者が悪者になるというところを使って直弼様の行動はすべて僕や長野主膳が唆したという事にしていけば、側近に操られた藩主という別の汚名が着くがまだましだろう。
だからと言って直接的に直弼様に悪い事をさせるわけにはいかなかったので、僕はひたすら直弼様の優秀さをアピールしまくる所から始めた。
溜詰間の諸大名は直弼様の優秀さを知っているが更に売り込みをかける。彼らは色々なタイミングで直弼様を大老にして自分達の権力を高めようとしてきていた。
逆にそこに取り入り直弼様に権力を集めるための下地作りをした。他の大名の家臣達と雑談をする時ですらさりげなく直弼様を褒めてその藩に必要な政策の提案までした。
そう『直弼様ならこうする』と言った感じで言うと、それを聞いた人は大名へと献策するだろう。
そうして直弼様をよく知らない大名にも直弼様の優秀さを広めていく。ここで肝になるのが直弼様がやっていない事を嘘をついてまで言わないことだ。
すべて実績について話す事でただ家臣が尊敬する主を褒めているだけという構図を保てる。
僕は悪事をせずに直弼様の名を上げていくことに全力を注いだ。現在は将軍継嗣問題で一橋派の斉昭と南紀派の直弼様で対立関係ができているので、この状況も利用していく。優秀な直弼様がおす将軍候補の方が良いのではないかと周りに思わせる事ができるし、より明確に斉昭との対立を表面化できる。
直弼様が大老に就任するのも南紀派の将軍になるのも決まっている事だから斉昭はきっと邪魔してこないだろう。
僕の思惑は見事にはまり南紀派の勢いは強くなっていった。そして松平乗全殿が直弼様を大老に推薦すると名言しだした事も僕に追い風を吹かせたのだった。
三河西尾藩藩主で前老中首座の阿部正弘殿は母方の従弟だった人で、経歴も幕府の寺社奉行や大阪城代を歴任し老中になるも対外政策や将軍継嗣問題で斉昭と対立し、その職を終われていた。老中首座が堀田正睦になった事に依り名誉挽回を目指して老中になり溜詰間の一員にもなっている。安政5年、直弼様を取り巻く状況は確実に大老への船出を初め、そして同時に桜田門外への船出も始まっていた。