第百四十三幕
『今後、もし何か知っている事があっても私達には言わないで欲しい。私達が死ぬことになったとしても、それは私達の運命で決まっていた事だ。
金城殿の助言を得れば回避できる危機があったとして、それを私達が自力で回避できなければ意味はないし、そなたの知っている未来が変われば、そなたが消えてしまうかもしれない。
どのような事象が起きて、そなたが過去に来たかは私には到底理解できないが、私達のためにそなたが消える危険を冒す必要はない。』
若き日の直弼様が僕に語りかける。ああ、これは『あの日の約束』の時の夢だ。僕が破ろうとした約束を思い出させるかのように見た夢は僕の胸を締め付けた。
これは17歳の直弼様が言った事で今も本心ではどのように思われているのかわからない。そんな時に
「失礼いたします。貞治様、表に谷鉄臣と名乗る者が貞治様への面会を希望しております。」
僕は執務中に寝てしまっていた事を思い出してあわてて
「よく知る人物です。この部屋に通してください。」
「?あ、はい承知いたしました。」
障子の向こうの人からすればなぜ僕が慌てているのかわからないためかなり不審だっただろうなた思っていると人の歩いてくる音が近づいてきて障子を開けた。
「お久しぶりです貞治様。お体など不調はございませんか?」
鉄臣と直接会うのはかなり久しぶりだ。医師として西洋医学を学ぶために岡本半介と共に僕の元で蘭学を学んでいたが今では立派な医師であり藩政にも関与していると聞いている。
「久しぶりです。特に体調が悪いという事もないですね。
今日はどうしたんですか?」
「半介様が最近、死刑囚に材木の伐採のため仮釈放にしているという話があります。これに関して貞治様は関与されていますか?」
「僕が必要に応じてお願いした事です。」
「それは彦根藩にとって重要な事ですか?」
「そうです。」
「それならなぜ私には何も言っていただけないのですか?
私も貞治様のお役に立ちたいと思っております。」
「ありがとう。では、一つ頼みたい事があります。
その前にこれはここだけの話にして欲しいのですが。私は未来から来た人間でこれからの歴史について重要な事件が起こる事も知っていますが、直弼様との約束でその全貌をお話しする事ができません。それでも僕の言うことを信じてくれますか?」
「もちろんです。」
即答した鉄臣の顔は真剣そのものだった。僕は意を決して
「直弼様が亡くなられると藩政は大混乱に陥ります。その藩政の建て直しはきっと何も言わなくても半介がやってくれるでしょう。でも、時代はもっと大きな変化を持って皆さんに降りかかります。半介のやり方ではその場をしのげても次の大きな波は越えられない。二転三転する世界を正す役割を鉄臣には担って欲しい。それまでは時代の流れをよく見ながら学んで下さい。そしてあなたが旗手となって新しい時代を生きて下さい。」
「それは貞治様が行うべきではないのですか?」
「直弼様が亡くなられるという事は僕も生きていないかもしれないでしょう。そういう事です。」
僕は鉄臣と話すうちにある覚悟を決めた。歴史の中にいながら歴史を変えることなく結果を変える努力をしよう。
僕が死ぬ事になっても直弼様を大罪人にしない。
直弼様の被るすべての汚名を僕が引き受けてやる。
僕こそが歴史に名を残す大罪人になろう。
そう心に決めた。