第百四十二幕
『未来に帰れる可能性がある』
斉昭の言った言葉が頭から離れなかった。
もうこっちの時代に来て二十数年になる。このままこの時代で生きて死ぬのだとずっと思ってきたし諦めてもいた。
こんなに歳をとったら現代に戻れたとして浦島太郎状態になる未来しか見えない。そもそもどうやったら戻れるのだろう。
この時代で死ねば戻れるのか?いつどこに?
色々と考えてみても答えはでないしあくまでこれは可能性があるという事であって本当に帰れるのかすらわからない。
「直亮様はたか殿と仲良く生きておられるのか。
まったく、どうやったらそんな情報をつかめるのやら。
お元気ならそれでいいか。」
僕が独り言を言った時に後ろに気配を感じて振り替えると直弼様が立っていた。
「義父上は亡くなられたのではなかったのか?」
よりにもよって直弼様に聞かれるとは運が悪いなと思いながらどう答えようかと迷っていると
「まぁ、なんとなくそんな気はしていた。
準備していたような物語のように事が運ぶ違和感のようなものは感じていた。それに時おり大名の方から『直亮殿によく似た人を領内で見た』と言われる事も数えきれなかったし、あの人が養子に出した兄弟達があの人の話になると濁したような言い方になるのも不審に思ってた。」
「そうでしょうね。あの方も僕と同じように未来から来られた人だったんですよ。本物の直亮様になられるはずだった方にこの時代で助けて貰い成り行きで身代わりをやってたらそのまま藩主にまでなってしまわれた方ですから。」
「それはいつ知ったのだ?」
「二十歳過ぎくらいだったように思います。ご本人が秘密にされていたので僕から伝えるわけにもいかなかったので。」
「たか殿の名が出ていたが?」
「簡単に言うとたか殿と駆け落ちがしたくて死を偽装されたんですよ。自分は井伊家の本当の人間ではないし、誰かとの間に子が産まれたらその子を次期藩主にとなるに決まってるから本当に愛してる人とも一緒にいれなかった事にお悩みでした。」
「そこまで徹底しておられたのか。だが、何のために?」
「自分を誰も知らない場所に突然行くというのはとても怖い事です。僕も何が何かわからず頼れる人もいない場所でどうしようとなっていた所を直弼様に助けて頂きました。
…………………」
僕はここまで言って、本当に直弼様に恩が返しきれないほどある事に思い当たる。直弼様にとって重大な問題も僕はまだ隠したままだ。約束があるとは言え伝えない事は本当に良いことなのかとの疑念も浮かぶ。
「どうかしたか?」
直弼様は本当に心配そうに聞いてくれる。その優しさに涙が浮かぶ。
「僕は直弼様に恩を何もお返しできていない。あの日の約束を破ってでも伝えないといけない出来事があなたには迫ってるのに。
それを伝えないのも僕が怖いからです。
本当にすみません。」
「『あの日の約束』か。私はその時その時の出会いや出来事を大切にしたいと思っている。一期一会と偉そうに言ってみたりもした。すべては巡り合わせなのだと思えば嫌な事でも耐えられる。
私がいくら努力を積み重ねてもどうしようもない事もある。
だから私は知りたくないとあの日に貞治の知識を拒絶した。
私が怖かったからだ。それに私は十分に貞治から貰ってばかりいる気にするな。これから起こる事も私は新鮮な気持ちで出会い受け止めて見せる。だから気にやむな。」
直弼様はそう言って笑った。