第百二十九幕
「阿部殿が老中首座を辞されて、堀田殿に代わられるだと?」
直弼様は家臣の一人が持ってきた情報に驚かれた。
「はっ、黒船来航時からの心労に加え、大地震までが重なり体調が悪化し職務をまっとうできないと判断されたようです。」
「だが、堀田殿が後任とは?どう思う貞治?」
「現在の逆境を考えると同一派閥や親交のある人物に譲っては、その人からの反感をかいます。
なので、親交もなければ表だって敵対もしていない上に溜間詰での長年の勤労もある堀田殿に譲ると言っても反対が起きにくいかと思われます。直弼様と親交が深い事も知られているでしょうから今は政治面での進言等は控えられた方がよろしいかと思います。」
「ふむ、私からの進言で何かを行ったとして遠回しに私を非難しようとしているのか。」
「そこまでは確証はありませんが、斉昭殿は堀田殿の事をオランダかぶれと批難されていたはずですから、阿部殿から何か報告を受けていたなら反対するはずです。
この噂が出回っても否定されていないなら斉昭殿が仕組まれた可能性も阿部殿が権力を保持したまま堀田殿を看板にしようとされている可能性もあります。」
「なるほど。中枢は阿部殿に近い方々が残られるなら堀田殿は自由に動けないというわけか。今後はどう動くべきだと思う?」
「就任が正式に発表されるまでは何もせず、就任されても今まで以上の交流は控えられる方がよろしいかと思います。
茶のみ仲間や和歌仲間としての付き合いで様子を見て堀田殿が実権を握れたとしても最初は近づきすぎない方がいいと思います。」
「それはなぜだ?」
「権力を持ったばかりの人の周りにはハエがたかるものですから、そのハエと同列に見られてはこれまでの関係が壊れる可能性もあります。権力がではなく堀田殿自身と友好関係を続けたいと見せなければいけないかと思います。」
「確かにそうだな。幕政も合議制に移行していて、堀田殿だけでは物事を決める事はできないからな。阿部殿が残られるとしても堀田殿と親交を結びたい者は増えてくるだろう。」
直弼様は深く考え込んでしまった。
堀田殿とは世継ぎとなって江戸に来てからの付き合いで、家督を継いだ後は溜間詰の先輩として色々な事を教えてくれた人物であり、そして趣味でも気が合い和歌や茶道を共にする事も多い。
公私で仲良くしていたために急な変更は難しく対応が大変だ。
「うん、とりあえずは今まで通りで様子を見よう。
今あれこれ考えても無駄だな。」
直弼様が言ってこの話は一時保留となった。
江戸大地震の約一週間後にあたる10月10日正式に堀田正篤が勝手掛老中首座になった。