第百二十三幕
「直弼様は貞治殿の言いなりですな。」
「理は通っているとは言え、岡本殿の処分は軽すぎるのではないか?」
長野主膳は自分の門弟達の会話を黙って聞いていた。
直弼様は自分の周りの信頼のおける人間の意見を広く聞き入れ裁断される事が多い。
自分の意見も多く採用されているために不満はないが、やはり脇貞治の意見に他の者より少しばかり重きが置かれているような印象は感じている。
直弼様達が18歳の頃に急に現れ、家老の脇家の養子となり直弼様に蘭学を教える教師であり、直弼様が不遇な扱いを受けていた時から常に側にいた男という事もあるだろう。
さすがに一緒にいる時の長さに関しては何も言えないし、そこを否定しても意味はない。
どこから聞いてなのか徳川斉昭殿が私に貞治の情報を流してくる理由も良くわからないが、貞治を失脚させるほどの情報はない。そうなると貞治よりも自分が使える人間だと直弼様に示さなければいけない。
「主膳様。」
話しかけてきたのは江戸で入門してきた男の一人で彼から斉昭殿の伝言を受けとる事が多い。
「どうされた?」
「サイショウ殿からの伝言です。」
『サイショウ殿』とは斉昭殿の事だ。これは江戸にあるお寺の和尚の名であり、その寺での講義を行った事もあるので、この場で『サイショウ殿』と名を出しても和尚からの伝言のように他の者には捉えられている。
もちろん、この和尚も斉昭殿の配下なので、このやり取りが確認されても和尚は話を合わせてくれるだろう。
男が取り出した手紙を受け取り、しごく当たり前のように手紙を読んだ。後でとかにすると逆に怪しくなってしまうのでいつも堂々と読んでいる。
手紙は当たり障りのない内容に見えるように偽装されているが読み方を知っていれば本当の内容を読めるようになっている。要約すると『アメリカ駐在使のハリスが通商条約を望んでいるが、これは孝明天皇が難色を示すだろう。
前回の和親条約も幕府の独断のような形で決められ朝廷を蔑ろにした印象を受けられている。
そこで京都の公家とも親交のある私に今のうちから通商条約を結ぶための下準備をしてはどうか。』という内容だ。
確かに直弼様は攘夷思想もありながら、外国の勢力に対抗する手段がない今は戦争に発展させるべきではないと思われている。そうなると通商条約に関しては前向きに検討されるだろう。そこに私が下準備をしておけば、私の評価は確実に上がるだろう。悪い提案ではないし、この内容なら貞治には真似できないから私にしかできないという利点しかない。これは好機が来たなと思い自然と笑みが浮かんだ。
「そんなに良い内容だったのですか?」
最近良く見る新しい門弟の若い男が聞いてきた。
「お寺での講義の依頼ですね。ただ、京都で用事もあるのでお応えできるのは少し先になりそうですが。」
「そうですか………」
若い男が何か言おうとしたところで他の門弟が若い男を呼んだ。
「谷殿、ここの考察についてはいかがでしょうか?」
「あっはい。少しお待ちください。」
研究熱心な門弟達だなと長野は思い、自分も京都での動きについて思索する事にした。