第百二十二幕
彦根城内 直弼の自室
そこには直弼と並ぶ形で中川禄朗、対面する形で貞治が座っていた。少しの沈黙の末に口を開いたのは直弼だった。
「此度の件について、長野殿は厳罰を求められている。
貞治にも言い分はあるだろうから話を聞かせて欲しい。」
「半介が過剰な物言いをした事に関して度が過ぎた部分があったのは確かです。ですが、彦根藩の歳出を見るに荒唐無稽な批判であったとは言えません。
また、直弼様が以前に直亮様に対してした批判と同様である事に関しても間違っておりません。
こうなると半介の今回の発言は彦根藩の現状を見直すための忠言ととるべきだと思います。」
「それは師として岡本殿を庇うために申されているのではないのですか?」
「もちろん、私の弟子である以上庇いたいという思いもありますが、私はあくまで直弼様のためであり彦根藩のために働く者として、自らの行いに異を唱えただけで厳罰に処すような暗君に直弼様をさせてはいけないと思います。
民や家臣の意見に耳をかさない藩主では藩の行く末が見えます。民からも家臣からも信頼される藩主であるべきですし、そうなるためには広く声を聞かねばなりません。
ここで半介を厳罰に処せば家臣を抑圧する藩主と捉えられ家臣からの信頼を失います。」
「貞治は外国の文書の重要性を認識しておるな?」
「もちろんでございます。」
「それでも買いすぎだと批判するか?」
「批判は致しません。ですが、重要性を藩士とも共有すべきだと思います。今のところ直弼様の身の回りにいる我らはその書物に触れ学びますが一般藩士には手が出ない物となっています。」
「では、いかがする?」
「弘道館にてその書物を用いた授業を行います。
現代西洋文化とでも名をつけ藩主が厳選した書物で多くを学ぶ事を推奨します。」
「なるほど、教材として使用するのか。だが、それだけで納得がいくものか?」
「藩主個人の買い物ではなく藩士の育成に貢献させるための書物とすれば今よりは確実に批判を減らせます。
ですが、購入量を減らす事を考えねば問題の解決にはならないでしょう。」
「そうだな、内容の吟味が必要だとは思っていた。
半介には少しのあいだ謹慎処分とする。
謹慎処分の解除に関しては様子を見ながら検討する事にしよう。藩主への忠言に関して慎重さを学ばせるためとも公表しよう。まぁ、言葉を選べば?忠言はしても構わないと示せるだろう。」
「寛大な処分ありがとうございます。」
「江戸の方で問題が起こりそうだからな。
あまり身内でごたつくわけにもいかないからな。」
「何があるのですか?」
中川が聞くと直弼は困った顔で
「家定様のご容態があまり良くなく、将軍継嗣問題が起こりそうだ。南紀の家福様と一橋派の慶喜様だな。
慶喜様は斉昭殿の七男だから少し難しい問題が絡んで来そうだ。
あとは、噂だが阿部殿が限界で老中首座を辞めたがっているとの話しもある。将軍継嗣に加えて老中首座の交代があれば幕府は大きく揺れる。それにアメリカの駐在使のハリス殿が通商を求めて新たな条約を求めてくるのではとの噂もある。注意が必要だな。」
直弼様はそう言って深くため息をついた。