第百二十幕
私は・・・・
私は歴史学者だった。
人は過去を変える事ができない。
なぜなら『人』が起こした波紋が重なりあい人々の生活が生まれているからだ。『あの人がこんな事を言っていた』に影響された『誰かの行動』によって更に『違う人が行動』する。
人は知らず知らずのうちに影響しあっている。
例えば、私がコンビニで最後のおにぎりを買えば、私のあとにおにぎりを買いに来た人は買うことができなくなるが、私がサンドイッチを買えばその人はおにぎりを買うことができる。
どこにでもあるありふれた話だしあとから来た人が違う物を買えば良いだろと思う人もいるだろう。
歴史とは些細な行動の積み重ねだったり、波紋を人より広く遠く出せる特異な人間の行動によって作られる物だ。
一つでも些細な行動がなければ歴史は動かなかったかもしれない。
石田三成が初めて羽柴秀吉にあった時にお茶を一杯しか出さなければ気に入られ家臣になる事もなかったかもしれない。
そうなると関ヶ原の戦いは起こらずに徳川家康は天下人になっていたかもしれない。
源義経が馬で崖を駆け降りなければ平家は滅亡しなかったかもしれない。
歴史にIfがあれば無限に分岐し歴史はまったく違うものになるだろう。だからこそ、正確に歴史は伝承されなければいけないし過去を否定してはいけない。
権力者の都合の良いようなフィクションは歴史とは呼ばないと私は学会でも主張し続けた。
残念ながら歴史学者の多くは仮説というロマンを描いて、実際とのすりあわせを楽しむ者が多いため、現実直視の私は浮いた存在だった。
あの日も私は講演という名の吊し上げにあっていた。
隣国との戦争時の様々な問題について私は自分の調べた色んな事象をあげながら話していた。私に熱心に批判も込めて突っ掛かってくる『あの男』との討論のような講演会が終盤になった時に私は『あの男』によってナイフで刺された。
そして私は死んだ。
目を開くと知らない天井と慌ただしく走り回る着物の人達がいた。一瞬、夢かと思い私は死んだのだと思い返すと容易にではないが『転生』という物なのかと考えたが、私にはこの体の記憶がない。この体で培った経験を何も感じない。
私はどうなったのかと目を閉じると夢の中へと意識が動いた。
白いもやの塊が私に言う。
『あなたは歴史を守る存在として選ばれました。
私利私欲で歴史を改変しようとする転生・転移者からあるべき歴史を守ってください。あなたは憑依者、我ら管理者側からの歴史を守る最後の砦です。
あなたの活躍に期待します。』
そして私は目を覚まして、周囲の人に確認を行った。
私は徳川斉昭であり、今はまだ部屋住みの29歳であること。
確か斉昭は30歳の時に兄の急死により水戸藩の藩主となるはずだ。そして時は過ぎ、転移者のひとりである井伊直亮と出会った。彼は私が憑依者だとは気づいていなかったし私も伝えなかったが、彼は何かを感じたように私に井伊直弼を偉人にするために生きていると話してくれた。
井伊直弼は優秀な人物であったし後世から見たら何も恥ずかしい所のある人ではない。安政の大獄や桜田門外の変がなければ長く幕府を支えた英傑であっただろう。
だが、それではダメだ。歴史が変わってしまう。
何をどうやったのかわからないが直弼は非の打ち所もない青年となっていた。元々そうだったのか直亮によるものなのかわからないがこのままではいけなかった。
だからこそ周囲から崩す事にして、事あるごとにその者の門弟に様々な情報を流してやった。
まさかこの大局に来て転生・転移者ではなく、この時代の人物に悩まされるとは思ってもいなかった。
だが、私の計画は揺るがない。
斉昭は目の前にいる吉田松陰という若者を前に笑ってその場をあとにしたのであった。