第百十九幕
「う~ん上手く行かないものだな~」
江戸のとある牢屋の中で二十代の男は明るく呟いた。
他に誰かいるわけでもないし面会に誰か来てくれるなんて事もないため色々な思考と独り言で時間を潰していた。
地下だから日の光もなく時間感覚もなくなっている。
男がため息をつくと誰かが階段を下りてくる音がした。
「ずいぶんと暇そうですね、吉田松陰殿。」
見た事もない壮年の男が話しかけてきた。身なりはとても良いのでそこそこの役職のある人だろう。
「話し相手も書物もありませんので暇をしていても致し方ないかと。」
「ああ、名乗り遅れました。私は水戸藩主の徳川斉昭と申します。」
「影武者かなんかですか?」
「おや?どうしてそう思われたのですか?」
「私の知る斉昭の肖像画と特徴が一致しないからですよ。」
「ほう、興味深い。ですが、絵などは誇張されてたりするものですから信じるには値しないのでは?」
「まぁ、あなたに何を言ったところでって感じです。私にどのようなご用ですか?裁定でも決まりましたか?」
徳川斉昭が直接罪人にお供の一人もつれずに告げに来るだろうかとも思ったが、この時代の常識にはうといため判断しかけねた。
「いや、ひとつ確認をしに来ただけですよ。
あなたはこの時代をどう変えたいと思っているのかをね。」
「私は確かに教鞭をとる者ですが時代を変えるような思想は持ち合わせてませんし、そんなことができる権力もありませんよ。」
「ええ、あなたには権力がない。でも、あなたには知識がある。
それも確定的に未来がどうなるのかを知っているくらいの知識がね。」
「何が言いたいのですか?」
「先代彦根藩主井伊直亮は転移者だったでしょう。あなたはどうですか転移者ですかそれとも転生者ですか?」
「あなたもそうだと?」
「フフフ、そういうことですよ。私は少し特殊でしてね。
世界が遣わした使徒と言っても過言ではないでしょう。」
「ずいぶんと自分を正当化する事にこだわられているようですね。私は日本の不遇時代の訪れを回避しより良い日本を目指して突き進みますよ。」
「なるほど、自己の望む未来に繋げようとするという事はあなたは転生者ですね。転移者は少なからず周囲の人間の影響を受けるものですが、転生者は己を通してしまいますからね。」
「あなたは違うというのですか?」
「私は世界の使徒ですからね。あなたが私の理想に邪魔になるようなら排除しようと思いましたが、脅威にすらなり得ないとは。
さすが思想しか残せなかった吉田松陰という感じですね。
では、私はこれで失礼します。ああ、これだけは言っておきます。我々の存在は公言しないほうが良い。命の危険が増えるだけですからね。他の転生者や転移者に狙われかねませんからね。
私は器が大きいのであなた方を殺そうとまでは思ってないのでご安心下さい。」
斉昭はそう言うと不敵な笑みを浮かべて去っていった。