第百十八幕
バタバタと直弼様に貞義と義徹の二人が駆け寄った。
「直弼様、このような場所にお越しくださりありがとうございます。父がする直弼様の昔のお話を聞いておりましたがどこか信じられずにいましたが、こうしてお越しくださった事でようやく父が本当の話をしていたのだと確認させて頂きました。」
貞義からすれば一藩士が藩主と仲良くしており、昔一緒に遊んだとか信じるのも難しかったのだろう。
それが葬儀に現れ、『最高の友の一人』とまで言われれば信じずにはいられなかったのだろう。直弼様は笑みを浮かべて
「二人とも貞徹の若い頃にそっくりだな。
貞徹に頼りすぎたために二人には寂しい思いをさせてしまい本当にすまなかった。彼の剣の腕や周りから慕われる人柄があってこそ江戸湾は安全に保たれていたと私は思っている。」
「ありがたきお言葉です。父も喜んでいると思います。」
貞義が礼を言う横で義徹も頭を下げてはいたが不服そうな顔をしているように僕には見えた。
父との時間を奪った人として僕らに思うこともあるのだろう。
善八郎でさえ僕を殴ったほど行き場のない思いがあったのに息子である二人にその思いがないとは思えない。
その後は僕と直弼様が末席に座って葬儀が滞りなく進んでいった。直弼様は式が終わるよりも早く騒動になる可能性も考えて退出された。おそらくどこに行くとも伝えずに出てきたのだろうから今ごろ彦根城内は藩主の行方不明事件が起きているだろう。
家老家の中には未だに身分制に拘っている者がいる。
優秀な者の登用を進められている直弼様からすれば家柄ではなく本人の資質こそが着目すべき事であり、家柄は枷でしかない。
友の葬儀にも自由にいけない今の現状は意識改革が進んでいない事をまじまじと伝えてくる。
式が終わり僕は善八郎と貞徹の二人の息子に直弼様が無断で抜け出してきて騒動になっているはずだから先に帰した事を伝えて、僕がいると他の人が気を遣うからと僕も帰る事を伝えた。
また、日を改めて来ることを伝えてその場を後にした。
僕が芹川の辺りを一人で歩いていると
「貞治様。」
岡本半介が声をかけてきた。
「ずっと話しかけるタイミングをはかってたのか?」
「公に話すと要らぬ噂がたちますから。」
「そうだな、直弼様に反発する勢力を作ってもらって今も頑張って貰っておきながら、礼ができていなくてすまない。」
「何かあったら遠慮なくお申し付けください。」
「何かあったのか?」
「直弼様は昔、直亮様が蘭書を買い漁られていた時に財政をひっ迫させると批難されておられおられました。ですが、現在は直弼様が同じ事をされています。
昔と今では日本を取り巻く環境が違うとはいえ、批難した内容と同じ轍を踏まれていては藩士の心証が悪くなります。
私はこれを強く批判したいと思っております。お怒りに触れ、最悪の場合は反逆扱いで死罪になる可能性もありますが、ここで動かなければ貞治様の思うような敵対勢力ではなく彦根藩を貶めるような勢力の誕生にも繋がりかねないと思います。
お許しを頂けるでしょうか?」
僕は頭を抱えた。現状を考えるとアメリカや他の国の動向を推測するためにも知識は欲しい。でも、財政をひっ迫させるわけにも行かない。それを半介に批判して貰うのは今までの状態なら問題はないが、直弼様が忠言としてその話を聞ける精神状態にないというのが問題である。長野主膳や中川禄郎先生ですら半介の勢力に危機感を持っている今となってはかなり危険な行為になってしまう。それこそ死罪にでもなったら半介に申し訳がない。
「無理は………しないでくれ。すまない、僕にはこれしかいえなくて。」
「いえ、私はあなたの役に立ち支えるために歩んでおりますので。」
半介は短く答えてその場から離れていった。
日米和親条約は結ばれた。次に来るのは修好通商条約だ。
直弼様が結んだとされるこの条約、さらに安政の大獄へと続く道、僕も何回も通っている桜田門。悲劇は僕から歩み寄るのではなく悲劇から近づいてきているように僕には思えて恐怖を感じた。