第百十七幕
五月になろうとする夜中、彦根の中薮では暗い雰囲気の中で人が集まっていた。小西貞徹の葬儀のためである。足軽である藩士の葬儀が盛大に行われる事などあり得ない。
僕と直弼様が貞徹の死を知ったのは四月の九日、貞徹が死んだ次の日だった。直弼様は溜詰に行かなければいけなかったので僕だけが江戸湾に駆けつけて貞徹の遺体と対面した。三日前に会った時はあんなに元気だったのにと思うと涙しか出なかった。
僕と貞徹の関係を知らない若い藩士達からすれば家老家の藩主の側近が現れて足軽の藩士のために泣いているという理解の及ばない状況だっただろう。
さすがにこの時代だから彦根まで遺体を運ぶ事はできないために火葬をして貰って遺骨を彦根に届けた。
貞徹には二人の息子がいる。奥さんはどうやら早くに亡くなっていたらしい。貞徹は僕に奥さんの自慢をしていた。亡くなっているなんて思わせないほどに誉めちぎっていた。
早く結婚しろと良いながら奥さんとの馴れ初めとかも聞かされていた。何がしたかったと問いたいがその答えを本人から聞くことはもうできない。
僕が貞徹の家に入ると、その場にいた貞徹の友人達が一斉に僕に頭を下げた。
「皆、今日は友との別れをしに来た同士だ、気を遣わないでくれ。」
僕が言うとざわついた。そこに僕に駆け寄って僕を殴った者がいた。秋山善八郎だった。善八郎は僕と直弼様よりも貞徹と長い友人だった。善八郎は大粒の涙を流しながら怒鳴った。
「もっと早く彦根に返してやってたら、あいつは息子達ともっと話せてたんじゃないのか、なぁ足軽ならあいつじゃなくて俺でも良かったんじゃないのか?」
そう言って善八郎は崩れ落ちた。周囲からすればあり得ない光景だったろうが、僕らの仲ならこれくらいはある。竹刀や木刀で殴り合った事は数えきれないし、貞徹の事を一番大切に思っていた友人も善八郎だっただろう。
「すまない、信頼を寄せてた二人にはそれぞれに仕事を任せすぎてた。貞徹が彦根に帰りたがってたのも知ってた…のに……」
僕はそこまで言って涙で何も言えなくなった。
貞徹が死ぬ3日前にも聞いた思い出話が鮮明に聞こえてくるような気がして声も出さずに泣いてしまった。善八郎も僕や直弼様が悪い訳じゃないこともわかっていると思う。やり場のない想いの行場が僕だっただけの話だ。
「貞治様、ようこそおいでくださいました。
貞徹の息子、貞義です。こっちが弟の義徹です。
善八郎殿は我らを思っての事ですのでお許しください。」
「ああ、貞徹から聞いていた通りの立派な青年だな。
善八郎とも貞徹とも昔からの友人なんだ。だから、不甲斐ない僕のせいで善八郎をどうこうしようとは思ってないから安心してくれて良いよ。」
僕が言った所で周りの藩士達が急に頭を深く下げた。僕にではなく、後ろから来た人物に対しての事だ。
「皆、我が旧友にして貞治、善八郎と共に最大の友である貞徹の葬儀に参列して貰い感謝する。私も友の一人として皆と共に貞徹を送ってやりたいと思うのだが良いだろうか?」
「お仕事を抜けて何をされてるんですか直弼様?」
「貞治には人の事が言えないだろう。それに私は貞義と義徹のふたり、あるいはこの場をしきってる善八郎に聞いてるのだから貞治の小言は後で聞くことにするよ。」
藩主が一足軽の家に足を運ぶなど聞いたこともない。