第百二幕
1854年の6月8日に彦根に急飛脚が来て、浦賀に異国船が現れたとの知らせを届けた。
直弼様はそれを受けて長野主膳に返書の草案作成を命じた。
三日後の6月11日には幕府老中から出頭するようにとの御用召しが届いたが、直弼様は諸々の準備を整えるために持病を理由として出頭の延期を申し出た。
「貞治、今回の事をどう思う?」
「それは僕の知識から来る意見ですか?それとも現状からの判断ですか?」
「現状の判断を頼む。」
「浦賀への来航に関してはいつかはあり得る事だと思っておりました。外国の船が日本周辺に来ていたのは今に始まった事ではありませんから。今回は強硬姿勢をとってきた国があったかあるいは今まで来ていた国ではない可能性があります。それも考慮しながら返書は丁寧に書かなければいけないでしょう。
また、幕府からの出頭命令にも早期に対応しておかないとお立場を悪くしますね。
先月の長野殿の話に出てきた通り、幕府だけでは対応ができない場合も想定しなければいけません。」
「確かにその通りだな。持病を理由にしてしまったからすぐに治るわけにはいかないから一カ月は遅らせよう。返書には長野殿の意見を取り入れていこうと思う。」
「江戸への出府は誰を連れていかれますか?護衛に貞徹はお連れ下さい。あとはやはり学者の中川禄朗先生と返書の草案を依頼したのであれば長野殿にもご同行をして頂いた方が良いでしょうね。」
「確かにそうだが、あまり学者ばかりを重用していると思われても良くないから、少しずらして来てもらおう。三浦十左衛門殿には一緒に来てもらおうと思う。」
「そうですね、三浦殿がいれば安心ですね。」
「貞治は悪いが彦根でこちらの案件の対応を頼めるか?本来なら江戸に行かずに対処するつもりだったがそうも言ってられなくなったからな。」
直弼様から書類を受け取り、
「承知いたしました。あと、浦賀の件ですが相州警備預所奉行も兼務されている宇津木景福殿にもご連絡をしておいた方がよさそうですね。おそらくは現場で真っ先に対応に出られるはずですから。」
「確かにそうだな。手紙を書いておこう。他には何かあるか?」
「もしも・・・・もしも異国船側から話し合いを求められたら直弼様が対応されるのがよろしいかと思います。英語の勉強もできていますからその辺の蘭学者よりも英語での会話ができるはずですから。」
「・・・わかった。もしもそういう事があるなら対応しよう。」
この会話の約一か月後の7月13日に直弼様は江戸へと出発し、日をずらし14日に中川先生と長野主膳が江戸へと向かった。手紙で状況を確認したところ直弼様が24日に、中川・長野両名が27日に無事に到着したようだ。今の時点では黒船来航だったとしてペリーの来航であるのかどうかとかはわからなかった。