第百一幕
1853年、直弼様が藩主となって2年が経った。色々な人の思惑をはらみながら藩政も改革が進められていた。
誰が誰の下につくのかとか誰が最も直弼様の信頼を得る事ができるのかなどの争いが水面下で行われていた。
そんな事もありつつ最も僕が懸念していたのは長野主膳の影響力の拡大と正式な登用がいつになるのかという話だ。藩校改革も進んでいる中で門徒が拡大している長野を藩の講師にという声も多く聞こえてくる。
閏2月13日の夜に直弼様に呼び出されたので行くと筆を持って悩まれている直弼様がいた。
「ああ貞治。夜遅くにすまないな。少し意見をしてほしくてな。」
「何か問題でもありましたか?」
「長野殿の登用について貞治はどう思う?」
「なるほど・・・僕は直弼様が今後必要になるとお考えであれば反対はしませんが慎重に対応が必要な案件ではありますね。」
「そうだな、彼の意見は時に反発を生むような事もあるから反対する人もいるんだ。色んな人に話を聞きながら決めるつもりでいるが幕府の状態を見る限りでは全国的な影響力は下がっているといっても過言ではない。
そのため朝廷との渡りをつけるためにも京都の公家と関係を持っている長野殿は重要な存在だと思う。
だが、この理由で登用を考えていると公言してしまうと幕府を裏切って朝廷に付こうとしてる人と思われたり陥れられる理由にもなりかねない。」
僕は黙って聞いていたが黒船の来航や日米和親条約などの話も朝廷との関係も大事になってくるだろう。
「今はどなたにお手紙をお書きになれてるんですか?」
話をそらすようになってしまったが僕は気になったので聞いてみた。
「ああ、三浦十左衛門殿だ。彼なら私に気を使わずにどんどん意見をくれそうだからな。」
「お忙しい方ですから返事が来るかは難しいですね。でも、三浦殿の意見なら他の方を説得するのにも長
よさそうですね。」
「家老の庵原・新野には打診してみたが二人とも国の役に立つと賛同してくれたが、二人は長野殿の門徒だから賛同して当たり前な部分もあったから三浦殿に聞こうと思ったんだ。」
「なるほど、三浦殿の意見も少し待ってからでも良いかもしれないですね。」
その後、三浦殿からどのような返事があったかはわからないが直弼様は4月26日に長野主膳を登用し藩校の国学相嗜候という理由で20人扶持の諸士格として召し抱えた。ただ、直弼様は側近としてそばに置く事をしないで参勤交代にも従わせないという藩内への配慮をしたほど難しい問題だったようだ。