ざまぁより大事なファクターがある
何か自分で拗らせてないか?って思えてきた。本音を言えば上手く言えない。この上手く言えないのを当てはめると拗らせてるが多分一番妥当。私は今のランキングが単純に読者の好みの反映と考える傾向は良くないと思ってる。こういった作品がなろうの上位に来る。なろう外のランキングと大きく異なる。
だからザマァ展開が多いなろうランキングを好む読者は、そういった話を外に比べて特徴的に好む特殊集団の読者なんだって話になる。いやそれはどうなの?ってなる。そうすると私なろうには特殊な好みの読者なんていないんだって見えてしまう主張をし始めてしまう。これをこじらせてると見たんだ。
ちゃうんだ、言いたいのはストレースにシンプルに好みの反映だって考えが単純すぎるって見てるんだ。なろうと多くの作品の共通性を語ってきたが、じゃ実際違う部分は何なの?って基本に立ち返ってみた。このままだと主旨とずれた変なものを拗らせてしまうからね。
結論から言うけどチートじゃないか?と思えてきた。へ?となる。あれほどチートは特殊能力をいちいち言い換えただけだろ?って言ってきた。うんそう、これ外漫画と何ら変わらん。なろうは特殊能力のものばかりなのがおかしいだけで、なろうの異能力だけが特別であることは決してない。むしろなろう作品は数多くの漫画の特殊納涼を魔法として展開してるだけで過去の漫画文化の踏襲にすぎない。
なろうは異世界に統一されて、その時代はやや過去の地球の文明レベルで、そこで魔法として常識化された特殊能力世界の話を描いている。何を当たり前な事をとなるが、なろうにおいてローファンタジーは無いわけじゃない。むしろ他のジャンルに比べれば十分人気ジャンルだ。なろうにおいてローファンタジーはアニメ化に上ってくるほどの戦える個性が無いだけで、その時選択されるのが異世界との地続きのローファンタジーはちょくちょくアニメ化されてる。
ローファンタジー自体は決して不人気ジャンルではない。前から書いてるがだが鬼滅の刃はなろうではまず生まれないと書いた。その特殊性は女性層の割合にあると書いた。ただなろうの女性層は特殊層である可能性がある。なろうは一般的なものでもないし、かつ、腐層とも全く違う。偉くニッチな層だと感じる。あげくのはてにヒットしたはめふらはアニメのおいて男性人気が高い…。
鬼滅の刃との違いはほぼこれで語れる。なろうは異能力以外のものが無いのが問題になる。それを端的に言うとチートだというだけになる。ざまぁ自体はそれほど重要じゃないと見ている。非現実的なファンタジー要素や異能力を扱ったものの中にざまぁがあると見た方がいい。なろうの内と外を分ける特殊性は多分別にある。
そこで考えたのがハイキューになる。スポーツものでざまぁできないか?と考えていたら、影山とびおってもろ追放系じゃない?って気が付いた。じゃどこが違うのか?となるとああチートだと気が付いた。影山とびおは追い出される前から最強なんだ。実際最強と言う抜きんでたものじゃないが、抜きんでた選手層の一員ではある。
そもそもアタッカーセッターレシーバーと役割が違う中で最強キャラなんて出てこない。ただ最強セッターとも単純ならない。だが最強クラスセッターなのは間違いない。女子向け人気ランキング見たら笑ってしまった。見事に最強キャラばかり…。影山飛雄はその中に入ってる。
なろうキャラで散々俺TUEEEモテってのが馬鹿にされてるが、その手のランキング見たらまず笑う。じゃ何故なろうって駄目なの?で私キリトやお兄様はあるかも?とは思ってる。お兄様は声優がNO1の五条悟と同じってのも大きい。ただ明確に違う点を言うと大半が最強主人公じゃない。影山飛雄はその中で主人公にかなり近い。
だが影山飛雄はスラダンの流川と桜木の関係になってない。明らかに日向とW主人公に近い位置にいる。桜木ほどの強烈な主人公位置にはいない。主人公がダメなんじゃない。女性ファンは最強キャラを主人公に拘らない。この点が決定的に違う。これは他で書いてるのでそっちを見てほしい。なろうは主人公最強がとても重要だから。
さて、影山とびおのなろうとの違いを見ていこう。彼は自業自得で集団から排除された。ただ直接チームメートにその権利は無いので、ぎすぎすしたチーム関係になる。高校では多分ある程度彼らと距離を置いた学校を選んだのかと…。ただ影山飛雄勉強はからっきしなので、偏差値的にからすのを選んだスタートだった気もする。
とにかく自分から集団から距離を置いたのはある。追放ものとかなり近い。だが実際になろうではこれ無理だろうなといろいろ分かる。なろうの主人公は追い出されるのがすべて理不尽でなければならない。理不尽でないとざまぁの気持ちよさが無いからだ。理不尽であると同時に仕方ないと思わせる自然さも必要になる。
認められない能力となる。現実的にスポーツもので認められない能力で追放ものって実はある。おおきくふりかぶってである。俺なら生かしてやるって俺様キャッチャーの阿部に行かされるのだが。この阿部もピッチャーがすごすぎて彼に気いられなかったから陽の目を見れなかった捕手で投手主導を嫌ってる部分がある。
阿部については、指導者にではない。その点でちと弱い。阿部は集団からはじかれたというより、投手一人のわがままだと見ている。その投手がすごすぎた。ただまあ主人公名前忘れた。彼はまあなんというか…。そりゃ認められんわって能力になる。むしろこれを見出した阿部がすごすぎる。初物キラーのトリッキー投手。
ここで分かるのは、なろうのざまぁは実はチートによって支えられてるのが分かる。チート以外は集団からはじかれて新天地で活躍ってのは物語の定番だー。だがざまぁとして読者の共感を得るのは、認められない能力じゃないと駄目なんだ。そんなもの集団からはじかれてすぐ持つのはあり得ないだろ?
そう現実問題ないんだ…。なろうのざまぁが外と内で別れるのは実は世界観を土台にチートのおかげだと良く分かる。万人に興味を起こさせるストーリーの型自体はありふれたものだと思う。全くないとは言わないが、それを作ろうとしたら多分相当人間の能力について優れた能力を持ってる人だけのものだと思う。まさにそれこそ難易度が高い描くものだと思う。
散々これ条件反射で語った。作品の特徴型と言うのは共通性が有るが、それが何か重要なものを示してるとは限らないって話になる。もしジャンルを超えてざまぁを実現できれば多分気が付く。これざまぁって単にどの物語でもそこそこ受けやすい王道なだけじゃない?って。そしてそういった物語の作り方は一般的なのですが…。
形に捕らわれて過ぎてるが、その問題として因果関係と相関関係の誤謬とよく似ている。相関関係からすぐに因果関係の説明をしだすのは間違った行為で、別のファクターによる因果である可能性を常に相関関係からは考えておかないといけないって事になる。
なろうのランキングの上位はざまぁ方が多い。だから読者はこれを好んでる。それは外のランキングとやや異なるのでなろうの読者の特殊性に違いないとしてるエッセイがすごく多い。私から言わせるとこれ多分相関関係の誤謬だぞ?と見てるんだ。まあいろいろ書いてて拗らせて変な方向に進みそうだったので急いで固めた話なので穴は多いと思う。