茫栗(マンゴスチン)から生まれた茫栗太郎(マンゴスチンタロウ)〜茫栗とメス犬に百合の花を添えて〜
茫栗は『果物の女王』だ。
おばあさんの視線の先にあるのは、大きな茫栗だ。直径五十センチほどの卵型の果物が川に浮かんでいる。
それは、茶色とも黒とも形容できる独特の色合いをしており、『果物の女王』としての高貴な雰囲気を漂わせていた。
「あらぁ、大きな茫栗ね。珍しいわ」
おばあさんは、川に浮かぶ茫栗に魅了されたかのように、恍惚な声を上げた。
そして、茫栗に惹き寄せられるまま、それを川から拾い上げ、家に持ち帰る。
「おじいさんや、川で珍しいものを拾いましたよ」
おばあさんは、家の扉を開けるなり、おじいさんに向かって声を上げる。
玄関から、奥の部屋に大きな声が響き渡った。
「おぉ、立派な茫栗だのぉ。茫栗は鮮度が命だ。早速いただくとしよう」
おじいさんは、大きな茫栗に目を見開く。
二人は、茫栗を台所に運び、まな板の上に乗せた。
その茫栗は、まな板からはみ出す程に大きい。
おじいさんが、包丁を握り、茫栗に一太刀を入れようとした時だった。
くパァー
茫栗は割れ、中から一人の男の子が現れた。
「男の子ですねぇ」
おばあさんは、その赤子を茫栗の皮から、抱き上げた。
茫栗は『果物の女王』だ。しかし、その中から生まれてきたのは、男の子だった。
「さて、この赤子には、例に倣って、茫栗から生まれた『茫栗太郎』と名付けようか」
おじいさんは、おばあさんの腕に抱かれた赤子をまじまじと見やる。その赤子は、茫栗の実のような白く綺麗な肌をしていた。
「良いと思います」
おばあさんは、コクリ、と頷いた。
そうして、茫栗から生まれた男の子は、『茫栗太郎』と名付けられた。
おじいさんは、毎日のように、茫栗太郎に剣の稽古をつけた。茫栗太郎を、一人前の剣士として育て上げるためだ。
茫栗太郎は、長身で、手も足もスラリと長い。白く細い腕は、力強さは無いが、その動きは、しなやかだ。茫栗太郎は、剣の技術を磨き、村で一番の剣士と呼ばれる程に腕をあげた。
茫栗太郎の周りにはいつも、村娘が集まっていた。茫栗太郎は、白く美しい顔をしており、いつも、凛々しく真剣な表情をしていた。
「拙者は、女子に、興味はござらん」
この茫栗太郎の言葉が、茫栗太郎をより高貴なものに押し上げていた。
村の全ての娘達は、茫栗太郎の、触れれば沈みそうな柔らかな白い美顔の虜となっていた。だが、誰も触れたことの無い、幻想としての柔らかさだった。
ある時から、村に鬼が現れ、悪事を働き始めた。
そこで、村一番の剣士として名高い茫栗太郎が、鬼退治に駆り出されることになった。
「気を付けるんだぞ、茫栗太郎」
「気を付けてね。お腹が空いたら、これを食べな」
おばあさんは、茫栗を二つ、巾着袋に入れて渡した。
茫栗太郎が、家を出発し、歩いていると、一匹のメス犬に出会った。
そのメス犬は、茫栗太郎に気が付き、近寄ってくる。
「茫栗太郎さん、茫栗太郎さん、お腰に付けた茫栗の実を一欠片、私にくださいな」
「おい、メス犬や。拙者の茫栗が欲しいとな」
茫栗太郎は、メス犬を冷ややかな目で見る。メス犬相手でも、凛々しく真剣な表情は、崩さなかった。
「はい、茫栗の実を一欠片くだされば、なんでもいたします」
メス犬は、舌を、ハッハッと出しながら、茫栗をねだる。
「よかろう」
茫栗太郎は、腰に掛けていた巾着袋の中から、茫栗を取り出した。
そして、両腕で、それをぐいっと捻った。
二つに割れた茫栗の中には、白い大蒜のような塊がある。それが茫栗の実だ。
「それ、食え。メス犬」
茫栗太郎は、茫栗の実を一欠片、メス犬に与えた。
一欠片の白い茫栗の実は、メス犬の舌の上で、すっと蕩けてゆく。その茫栗の美味しさに、メス犬は恍惚な表情を浮かべる。
「お前、随分美味しそうに食べるな」
茫栗太郎はメス犬の顔をまじまじと見る。
茫栗太郎は、今まで、笑顔で食事をしたことが無かった。
正確に言えば、心から笑ったことが無かった。それは、いつも茫栗太郎という一人前の『男』して振舞っていたからだ。茫栗太郎は、茫栗太郎としての笑顔しか、したことがない。
それは、クールでかっこ良いと、村娘たちから思われていたのだろう。しかし、それは、茫栗太郎の本当の顔では無い。
「はい、美味しいです」
メス犬は答える。
「どうしてそんなに美味しそうに食べるのだ?」
「それは、私が『自由』だからです」
メス犬は、答える。
このメス犬は、誰に飼われることもなく、森の中を自由に歩き回っていた。
「そうか。『自由』か」
『自由』という響きに、茫栗太郎の心が抉られる。鮮度のいい茫栗を指で、じゅう、と押さえつけるように、茫栗太郎の心が窪む。
「実は、拙者。いや、私は、名前を茫栗太郎と、男の名前をしているけど。そして、体も男だけど。心の中は、女なのよ。そう、私は女なの」
茫栗太郎は、気が付けば、声を出していた。
今までおじいさんとおばあさんに言えなかった本心を、会ったばかりのメス犬に話している。会ったばかりのメス犬だったからこそ、何も気を遣うことなく話せたのかもしれない。
「私は、剣の稽古をして、剣術も身に付けた。村の男どもにも勝てる。でも、私が望むのは、争いでは無いの。私は。私は、愛する人との甘い生活を望んでいるの。茫栗は、甘いのよ。誇り高き、果物の『女王』なのよ」
茫栗太郎はしゃがみこみ、抑えていた全てを解放するように、泣きじゃくった。
涙を拭う手のひらは、剣を握り続けたために、ゴツゴツとしていた。しかし、手の甲や腕は、真っ白で綺麗なままだ。艶やかな白い肌が涙で潤う。
「そうですか、茫栗太郎さん。今まで、さぞ辛かったのですね。私でよければ、お伴いたします」
メス犬は、茫栗太郎に歩み寄る。
「それは、どういう意味だ?」
茫栗太郎は、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げる。
「そういう意味ですよ、茫栗太郎さん。私と一緒に、自由になりましょう」
茫栗太郎は、大きく目を見開いた。
その目には、一匹のメス犬が映っている。
メス犬の毛並みは、白く美しい。野生の犬ではあるが、栄養を採り、水浴びもしているのであろう。
「うん」
茫栗太郎は、大きく頷いた。
大粒の涙が、茫栗太郎の頬を伝った。まるで、茫栗の実から滲み出る甘い果汁のように。
茫栗太郎は、身につけていた甲冑を脱ぎ捨てた。そして、服も脱ぎ去った。
巾着袋の中には、茫栗がもう一つ残っていた。
それを取り出し、右手に握りしめた。
新鮮な茫栗は、皮が柔らかい。茫栗は茫栗太郎の指の力で少し窪んだ。
茫栗太郎は、メス犬と共に、森の奥に消えてゆく。
そこに脱ぎ捨てられた甲冑と服の上には、茫栗の赤黒い皮が、捨てられていた。
ここが、茫栗太郎の墓だ、と言わんばかりに。
二人は、森を抜けて、川に出た。
二人の目の前に流れる川は、サラサラと清らかだ。
「茫栗太郎さま」
メス犬が言う。
茫栗太郎は、手の平で、メス犬の言葉を静止する。メス犬は、言葉を飲む。メス犬の目には、ゴツゴツとして、それでいて、白く柔らかい手の平が映る。
「もう、私は、茫栗太郎ではない。別の呼び名を考えないとな。女の子らしい名前がいいな」
「では、女の子らしく、茫栗……。」
言葉の途中で、メス犬は吹き出した。
「ぶっ。はは、これはこれで、逆に男の子みたいな名前だな」
茫栗太郎は、思わず手を叩く。パチリ、パチリと、乾いた音が鳴り響く。
「そうですね」
二人は、顔を合わせて笑った。
しばらくして、メス犬は、子犬を産んだ。
茫栗と犬との異種交配の結果、生まれたのは、『茫栗犬』だ。
その子犬は、『子茫栗犬』である。
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(ジャンルを純文学にお引越ししました)