百番目の話
天動説が覆った日、人間は世界の中心からはじき出されて尻餅をついた。
宇宙が二度と自分を中心に回ることはねえと知り、多分めちゃくちゃに駄々をこねた。
進化論を突き付けられた日、人間は自分が猿より少しマシなだけだと知った。
神の祝福はもう与えられないっつー事実にマジかと驚き、天国の扉を叩いてみれば神は哲学者に殺された後だった。
まあ何が言いたいかってえと……人が大人になるには時間がかかる。
そして自分の愚かさはそう簡単には分からねえっつーことだ。
俺だって例外じゃない。
記念すべきこの百番目の話ではそれを語ることになる。
ただ最初に断っておきたい。
今からする話は少しばかり変に聞こえるかもしれねえが、俺は正気だ。
信じる気にはなんねえだろうが一応覚えておくといい。
◆◇◆
部屋の中で助走をつける。床を蹴り、きりもみ状にベッドに飛び込む。
捕まえた枕をガスガス殴りながら俺は、ダイブスタート! と奇声を発した。
声が天井に跳ね返ってくるより前に、俺の意識は内側に沈んだ。
ドボンと音がして、体が水に包まれる。
無数の泡が視界を覆い、それが晴れると魚の群れが目の前を横切った。
見上げるとキラキラと輝く水面がはるかに見え、見下ろせば照り返す海底が広がっている。
そう、海だ。
ベッドから海。
変か?
だがよく聞け。ここは俺の中の海だ。
人が話を作るときに語られるイメージにはいくつか種類がある。
一番によく言われるのは頭の中の小人がってやつで、すべては小人がやってくれて話は勝手に出来上がるっつー、ならお前がやった仕事ねーじゃん、な概念だ。
その次か次の次くらいに頭の中の海がある。
ここまで言えば想像つくかもしれねえが、俺は喩えでしかない頭の中の海に実際に潜ることができんだな。
この力は俺の最強の武器で、今まで九十九の話をこれで作った。
そして、俺は今日、百番目の話を作りにやってきた。
「ようこそマスター、ご機嫌いかがですか?」
耳元で声がした。
悪くねえ、とうなずいて俺は潜行を始める。
声の主はこの海の妖精と俺が呼んでる存在だ。
創作を行うための姿を持たないナビゲーター役だった。
「よーしサポート頑張っちゃいますよ。どんなお話をご所望ですか?」
誰もがブッ飛ぶ話がいいやと俺は言った。
いつもはそこらの塩の結晶やら海藻やらを分解してそれを材料に話をでっち上げるが、記念すべき百番目にはもっとド派手な奴にしたい。
「というと?」
まずは出だしでガッと掴む。
それから大どんでん返しを間に挟んで、最後にきゅきゅっと締めればイチコロよ。
「あははっ。マスターってバカですねえ」
は?
おいテメ喧嘩売ってんのか?
「褒めてます。そういうことならもっと深いところを目指しましょうね」
クソ、腑に落ちねえ。
まあいいが。
そのまま岩場を過ぎてサンゴ礁を越え、海溝を見つけてさらに下る。
海面から注ぐ光が乏しくなっていき、視界はどんどん暗くなった。
「もうそろそろです」
ナビの声に何がと訊き返したその時だった。
行く手から地響きのような音がした。
なんだと思い目を凝らすと、砂を巻き上げて何かがこっちに向かってくる。
なんだよあれはとナビに訊いたが、答えは返って来やがらねえ。
舞い上がる土砂の中から、巨大な船体が現れた。
尖った舳先、ドクロが描かれた大きなマスト、黒光りする大砲。
……海賊船?
なんでこんなもんがと思ったその瞬間、砲の一つが火を噴いた。
身をかわした俺の横を重い気配がかすっていった。
おいナビどういうことだ! なんかいきなり撃たれたぞ!?
叫んでみたが返事はない。
俺は舌打ちして水を蹴った。
ズラリと並ぶ大砲の射線を避けて、飛んでくる斧やら投網やらを叩き落として、近づいていくと甲板に誰かがいる。
もしやあいつが船長か?
甲板に降り立つと、その男は腰の剣を引き抜いて襲い掛かってきた。
俺はその一閃に驚く。
やべえ、こいつ、強いぞ!
それから俺は冷静に右ストレートをぶち込んだ。
◆◇◆
「なんと乱暴な若者じゃ。この老いぼれめにも構わず拳を叩き込むとは……」
船長の男は腫れた頬を押さえてうめき声を上げた。
先に斬りかかってきた奴が言っていい言葉じゃねえから当然に無視する。
俺はへたりこんだそいつの前にしゃがみ込み、テメエは何だと睨んでやった。
「ワシはこの海賊船チャレンジャー号の船長だ。七つの海をまたにかけ、全ての海賊の頂点に立つ男」
知らん。
そんな奴がなんで俺の海にいるんだよ。
「冒険心に追い立てられ新たなる景色を見にやってきた。ここはお主の海なのか? それは失礼をした。先に話をつけるべきじゃった」
意外に礼儀正しいジジイを尻目に、俺は声を上げた。
おいナビ、どこ行った。これは一体何なんだ。
返事はない。
チッ、クソ、一体どうなってんだ。
「もしやそういう病気なのか?」
うるせえと俺は老人を蹴飛ばした。
「うおう。これをやるから許してくれい」
そう言ってジジイが取り出したのは、ペットボトルの容器だった。
中にはなにやら砂が詰めてある。
……なんだコレ?
「それはな、ワシが七つの海の果てで見つけたお宝じゃよ。その名も語り部の神髄。最強のストーリーを作るためのトキメキツールじゃ」
なんと。
俺はペットボトルを見下ろした。
中の砂は、よく見ると紫色にキラキラと光っている。
なるほどこの砂が面白い話の素なんだな。
俺は早速ペットボトルの蓋を回し開けた。
その瞬間、中から噴き出してきた砂を顔に食らった。
いってえ。
「言っておくがその砂はただの砂だぞ。暇だったから詰めてみた」
あ?
「本体はその容器だ。あまり時間をかけると戻れなくなるからな」
その声を聞いた直後、俺はペットボトルの中に吸いこまれた。
◆◇◆
あのジジイ、絶対この手で殺してやる……
だが目が覚めたその時、死にそうなのは俺だった。
体がからっからに乾いていて、多分だが必要な水分下限を軽く下回ってやがる。
カッ、と照る殺人熱射線の下、俺はすでに半分くらいは死んでいた。
よく動かない首を回して見れば、周りはどこまでも続くまっさら砂漠。
どこだここ。
俺の海じゃねえ。
裏ステージに叩き落とされたか? そんなとこ聞いたこともねえんだが。
俺は死力を振り絞って砂漠を這った。
砂を腕でかくたび、途方もない熱が脳を焼く。
悲鳴を上げたいが涸れた喉では声も出ない。
這って進む。這って進む。
砂が口に入っても吐き出す力さえない。
あまりに弱りすぎて目が回った。
「大丈夫?」
死神が見えた。
回る視界に、麦わら帽子と白いワンピースの少女。
大きな大きなペットボトルを背負い、こちらを見下ろしている。
「これ飲んで」
差し出されたコップを、俺は凝視した。
中で水が揺れている。
俺はうめき声を上げて砂から身体を引きはがした。
涙で視界がにじんでぼやけやがる。
思わず叫び声を上げて突進し、右ストレートで吹き飛ばす。
水一杯だけとかケチんじゃねえぞクソガキが!
◆◇◆
パラソルが作る日陰の中。
シクシク泣き腫らす少女の横で、俺は飲み干して空になった巨大ペットボトルを脇に捨てた。
ああまったくひどい目に遭った。
「絶対わたしの方がひどい目に遭ってる……」
それは大変だったな。
せいぜいキチガイには気を付けろ。
「そうする……」
ところでお前何者だ?
砂漠を旅するペットボトル売りか?
「違うわ何よペットボトル売りって。わたしはこの世界の神よ」
……は?
「だからこの世界の創造主なんだって」
聞くところによるとこうらしい。
この少女は今からン十億年前にこの宇宙をクリエイトし、ずっと管理し続けてきたゴッドだと。
俺は一応確認しておいた。
薬はちゃんと飲んでっか?
「わたし正気よ!」
なるほど太陽熱で脳が蒸発したわけか。
「なんなのこの人失礼すぎる……」
まあいいさ。妄想は誰にでも許された権利だ。
大丈夫、いつかは戻ってこれんだろ。
じゃあ俺は行くよ。
またな。
「待って! あなた救世主になってみない?」
はあ?
怪訝な顔をする俺の前で女神は目を輝かせた。
「この世界は今危機に瀕しているの。砂漠化が進んじゃってみんながすごく困ってるの。だからそれを解決してくれる人が必要なの! あなたなんだか普通の人とは違うみたいだし手伝ってくれれば助かるんだけど……」
断固拒否。
俺に一個も得ねえもん。
「経緯をまとめればきっと面白い話ができるわよ」
乗った。
「よし」
話を聞くとこうだった。
この世界は人口増加が限界ラインを突破して久しいらしい。
そのくせ経済活動は抑えねえもんだから温室効果ガスはブンブカ放出。
焼き畑農業や制度の不備で森林はバッサバッサと切り倒される。
ううむ、どこの世界でもだいたい同じことに悩むのか……
「さてどうしましょうか」
よしやることは決まったぞ。
「え、もう?」
ったりめーよ。俺にかかりゃあ解決策なんてするっと出らぁ。
「……江戸っ子?」
まあそういうわけで対処に出るからお前の力を貸してくれよ。
「貸す?」
神なんだから全能の力があるんだろ? それを半分貸してくれ。
「悪用しない?」
大丈夫だ。信じろ。
ちょっと人里行って説得してくるだけさ。
「分かった。信じる」
じゃあ待ってろよ、と馬鹿な女神を背後に残し、俺は砂漠へ踏み出した。
◆◇◆
それから三日ぐらい後。
俺とゴッドガールは上空数千メートルのあたりで全力をぶつけ合っていた。
「こ、ん、の、バカああああああ!」
うるせえ死んどけクソゴッド!
それぞれが放った衝撃波が空中でぶつかって轟音を立てる。
耳をつんざく大音声が、さらに連続して空気を激しく震わせる。
「わたし聞いてないわよ! 人類抹殺計画だなんて!」
削減計画だ間違えんなドアホ!
「何が違うの! 結局死んじゃうんだから一緒じゃない!」
いいや違うね。
俺が殺すわけじゃねーもん。
ただもらった力を馬鹿どもに配って歩いただけで悪用だってしてねーし。
「悪用よそれ絶対! 信じられないくらいドス黒いもの!」
そう、俺が狙ったのはこの世界の住人たち自身に問題を解決させることだった。
力を得た馬鹿どもは期待通り……いや図らずも争いを初めてしまったが。
へへっ。
「こんな男信じようと思ったわたしが馬鹿だった!」
おう、バーカ! バカゴッド!
認めな。人間は所詮愚かなんだよ欲まみれだ!
あんな奴ら救ったって何にもなんねえさ!
「くっ……でも諦めない! わたしの世界は壊させない! だって、好きだもん、この世界のみんなが! わたしは信じる! いっけえええええ!」
あ。
ゴッドガールが放った一撃をうっかり防ぎそこね、俺の体は消し飛んだ。
◆◇◆
俺の体は一度滅び、意識が一度途切れたような感覚があった。
だがいつの間にか俺は再生し、白い部屋の中にいた。
……なんだここ。
周りを見回すが白いだけで何もない。
足元を見下ろすと銀のメカメカしい台座があって、俺はその上に立っていた。
「やった! 実験は成功だ!」
唐突に声が響いた。
そちらを見ると、部屋の壁の一部がスライドし白衣姿のジジイが駆け寄ってくるところだった。
「おお、間違いない。わたしの仮説は正しかったのだ!」
俺の顔を覗き込み、周りをまわってためつすがめつ観察し、ジジイは歓喜に打ち震える。
俺にしてみればなんのこっちゃだ。
っていうか口くせえぞジジイ。
「状況が分かっていないようだな。まあ無理もない。急に上部神性構造層から召喚されたのだ。混乱するなというのが無茶というものだ」
???
「まあ話は後だ! とりあえず一緒に来てくれ! わたしの研究を意地でも認めようとせず、あまつさえ無能なマッドサイエンティスト扱いした世界を、後悔のどん底に叩き落としてやるのだ!」
俺は一瞬迷ったが。
とりあえず右ストレートは叩き込んでおいた。
◆◇◆
それから俺は博士の研究成果として世界を蹂躙し、禁忌のアンデッド研究の手伝いをし、その途中で爆発に巻き込まれて死んだ。
その後もいろんな世界を転々とした。
雲上の天空世界、地獄の釜の底のマグマ世界、裏返りしフンギャッパリペロッチョ世界。
そのどこでも変な奴がいて、いろいろ俺に頼ってきた。
で、最後にたどり着いたのが何もないただの白の地平の世界。
見回してももう誰もいない。
何も始まらず終わらない。
あれこれ行き止まりじゃんと俺はお手上げした。
「お元気ですか?」
声が聞こえたのは、暇すぎた俺が新しい趣味として宇宙の果てにあると仮定したルンパルンパ星人とコンタクトを取り始めたあたりだった。
反射的に放った右ストレートは空を切った。
クソッ、俺の連勝記録を止めやがって!
「お久しぶりですねマスター」
んだよナビかよ。
お前一体どこに行ってたんだ。
「ずっとあなたのそばにいましたよ」
ふうん?
まあいいや。
そんなことより俺はそろそろ帰りたい。
帰って面白い話を作りてえよ。
「無理じゃないですか?」
……
「マスターだって分かってるでしょ?」
俺は答えられなかった。
だが確かに心の中では分かっていた。
俺には無理だ、面白い話を作るなんて。
ここまで来て分かったが、俺の頭の中には、俺の海にはクソみたいな材料しか存在しない。
そしてそれを料理する俺の腕だって同じくクソだ。
俺には才能なんてこれっぽっちもなかった。
九十九も話を作っている中で、本当は俺だって気づいてた。
「マスター?」
んだよ。知ってるよ。
こんなグダグダな妄想にふけっている俺に傑作なんて不可能だ。
「同感です」
……慰めてもくんねえんだな。
まあいいや。
はあ……
「もうお話づくりは止めちゃいますか?」
そうだなそれもいいな。
もうきっぱり筆を折って、話を書くのも読むのもやめにして。
原稿用紙は全部捨てて、それで、それで……
「どうしました?」
ああ、いや……
頭の半分で話づくりをやめることを考えながら。
俺はもう半分の頭で別のことを思い出していた。
冒険心につき動かされ探検をやめない海賊船の船長。
自分の作った世界を強く愛する女神。
世界に反対されながらも研究を続けた研究者。
他にもたくさんたくさん、馬鹿で間抜けで、それでも自分のやりたいことに精一杯な奴ら。
「マスター」
ああ、聞こえてるよ。
「書くんですね?」
どうだかな。
決めてねえけど。
「応援してます」
サンキュ。
まあ、じゃあ……戻るか。
◆◇◆
気づけばベッドの上だった。
俺は起き上がり、見回した。
時計の針はまだ五分ほどしか進んでいない。
ベッドを下り、部屋の隅の机の上を見ると、原稿用紙が汚らしく散乱している。
まずはそれを整理した。紙をまとめ、ペンを脇に置く。
それから席に着く。ゆっくり深呼吸する。
ペンを取り、一行目に筆の先を乗せる。
子供時代が終わり、人はようやく現実を歩き始めた。
夢を見るのをやめて、前に進むことを決めた。
俺はそれに続けるか。
『百番目の話』。
筆の滑りは思ったほどには悪くなかった。
(終)